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昨夜NHKで、アラスカで野生動物の写真を撮影し続けた星野道夫氏を扱ったドキュメンタリーを見た。写真のみならず文筆家としても一流の氏の著書からの引用文をナビゲーターにして、氏が何を想いアラスカに渡ったか、そしてその地の野生に見せられ、何を学び、何を求めてその野生を追いもとめ、撮影中の不慮の事故で43歳という若さで亡くなるまでの間、どのように生きたのかという軌跡を追った。
1年の歳月をかけて制作したというそのドキュメンタリーは重厚さと誠実さとを併せ持っていて、幾度となく用事で席を立とうとする私をTVの前に引き留めた。スケールの差こそあれ、星野道夫氏とアラスカとの出会いと、そこに生まれた何かが、私と蓼科との出会いとその後に重なり合うものがあったからだ。たまさか我が家の愛犬パル(シベリアンハスキー)の祖父がアラスカからやってきたという縁も感じた。そう、子孫ということではあるけれど、パルはシベリアではなくアラスカからやってきたのだ。そしてまた私もこの氷雪の極寒の地でのパルとの生活を通じてアラスカへの憧憬を深めてきたのだった。
ここ、ピラタスの丘というとんでもなく標高の高い別荘地(標高1750m)でペンションを営むことになったのも間違いなくなにかの縁(えにし)だと確信している。それまで自然などまったく必要としない精神構造だった私が初めて出合った大自然がこの蓼科だったのだ。大学のゼミナールで晩夏の蓼科を訪れたとき、セミナーハウスの外でゼミの仲間たちと遭遇した信じがたいほど荘厳な夕焼け。あまりの感動で誰ひとり言葉を発することすら出来ないほどだった。この体験は30年以上を経たいまでも鮮明な記憶として、ある種の原体験として、あるいは刷り込み(インプリンティング)としてみなが共有している。
あのときに私はここに来ることを運命づけられたと感じている。その後どのような道を選択しようとも、どのような生き方をしようとも、結局私は「いま、ここに、ある」はずなのだ。それは形而上の体験だった。あるいは「神的な体験」だったのだ。
そしていまこの地にあることを運命づけられた私の心を疼かせるのは、遙かなるアラスカだ。なぜかと問われると答えに窮するのだけれど、あえて言うならばかつて蓼科が私を呼んだように、アラスカが私を呼んでいるような気がするのだ。いやそれは確信といっても良い。私の心はすでにアラスカを志向している。
私の年齢を考えるならば、常識的には所詮かなわぬ夢かも知れないのだけれど・・・。
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