晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 21℃
午後、雷鳴を聞く。換気のために開け放った窓からそれは聞こえた。あんまり良い天気なので、まさかと思ったが、やはり雷鳴に違いない。この種の雷鳴は危険信号だ。まさに青天の霹靂のごとく雷(いかづち)が着弾する。月曜日の落雷がまさにそれだった。
夏の日差しの中、パーンという轟音とともに近くの電柱をしたたか打ったのだ。そして、そこから先の家屋は停電し、インターネット回線も不通となった。電話回線が生き残ってくれたのと、ウチが電源を引き込んでいる電柱まで通電が継続してしていたので、停電だけは免れたのはさいわいだった。
今日もパソコンや周辺機器、そしてインターネット関連のケーブルを引き抜き、落雷に備える。これもピラタスの丘の夏の風物詩だ。ここ数年、夕立、雷雨が激減していたので何だかとても久しぶりのような気がする。
残暑のない蓼科ではこのまま秋が訪れる。日ごとに大地が冷えてきているのを感じる。毎朝晩最低気温は12℃〜14℃を記録している。最高気温も20℃前後でそれもしだいに低くなってきている。それでも例年よりも平均気温が高めのような実感がある。いつもなら日暮れとともに暖房を入れる日がたまにあっても不思議ではないのに、今年はそんな日がまだない。
日差しはずいぶん和らいで、クルマで街に降りてもエアコンが必要ではあるけれどじりじり焼く陽光はもうない。パーキングしておいても、戻ったときにオーブンみたいになっていることも無くなった。ピラタスの丘ではアキアカネ(赤とんぼ)がぶんぶん飛び交っている。ひとを恐れないので、歩いているとしょっちゅうぶつかってしまう。
蓼科の夏の終わりは秋の始まりでもある。それはまさに同時進行している。季節が変わるというよりは連続した音階の変化のような感じだ。そのようにして季節は進行し、僕らはしだいに真夏の熱狂から醒めて、鮮やかな色彩と静謐に満ちた秋へと舵を切るのだ。
晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 22℃
天気は曇りというべきなのだろうか、しかし見上げれば白い雲と青空がそこにあり、とうとうと流れてゆく。スポットライトのような陽光が森のそこここに降り注ぎ、そんな情景を見ているうちに晴れなのか曇りなのかわからなくなってくる。
風はひんやりと冷たいが、日差しのもとではじりじりと熱い。しかし大地のこの絶対温度の低下は季節が決定的に秋に向かっていることを示す証拠に違いない。ざわざわと生育し続けてきた樹木や草花もその勢いを止めて静かに結実の季節に向かい始めている。
森の所々では気の早い樹木が紅葉を始めている。ウルシは黄葉し、ナナカマドは蛍光オレンジの紅葉とともに真っ赤な実を付ける。コスモスが咲き乱れ、アキアカネ(赤とんぼ)が飛び交い、じつに秋の様相を呈してきた。
街でも同じような季節の変化を感じることができる。空の色が秋色に変わり、炎天下にクルマを止めておいてもさほど室内気温が上がらなくなった。吹き抜ける風はもはや熱風ではなく、ひんやりとしたまるで夏の終わりの海辺に夕暮れ時吹く風のようだ。ただ潮の香りがしないところだけが異なる。
心地よく気だるいこの気分は、灼熱の夏の思い出、命を燃やす季節の終焉を告げる。夏の終わりは海辺でも山でも同じ、祭りのあとのような静寂と若干の寂しさに胸がきゅんとなる季節だ。特に蓼科のような避暑地の夏の終わりの味わいは格別だ。
さまざまな色彩がより鮮明に目に映るようになり、さまざまな音がやわらかくまろやかに響くようになる。しっとりとした大気に心身がいやされる。きっと光の波長が変わり、大気の密度が変化するせいなのだろう。
この季節のビーナスラインを走るとそんな季節の微妙でいながら劇的な変化をはっきりと見て取ることができる。僕が個人的にドライブやツーリングにこの季節を推奨するのはそのような理由からだ。
今日も静かに日が暮れて、群青色の夜がやって来た。いまは曇っていても夜露が落ちきる深夜には満天の星を望むことができる。その美しさ、壮大さには言葉を失う。だからこの季節は昼間よりも夜の方が好きになる。漆黒の闇のように見えても実は充分な光があるものだ。ああこれが星明かりというものなのだと気づく。
シベリアンハスキーのパルとの深夜の散歩。僕はLEDのハンディーライトを持参するが、ほとんど使用しないで歩くことができるようになった。十分目を慣らせば暗闇に含まれるほのかな光を頼りになんら支障なく活動できることを知る。
闇はじつにさまざまな気配と存在に満ちている。それを感じながら歩くのは新鮮な体験だ。恐ろしさは感じない、濃密な自然の気配を感じることは快感ですらある。見えない分だけひとは感じることができるのだろう。
蓼科には「残暑」というものはそもそも存在しない。このまますっと秋になるのだ。今年の蓼科の夏はとても短かった。個人的にはそんな感慨にふけっている。
曇り 気温:最低 14℃/最高 19℃
突然の雷鳴とともに暗闇がすべてを支配した。ブレーカーが落ちた気配もない。目の前の明るい液晶モニターも部屋の明かりもなにもかもが一瞬で死に絶えた。近接落雷だ。しかも文字通り青天の霹靂(せいてんのへきれき)的落雷。なんの前触れもなかった。こんな落雷は初めて経験する。カーテンを開けると外はまだ明るい。青空が見え、雨は降っていない。
真っ暗の状態が続いたが、停電はしていなかった。館内の主電源のブレーカーを再起動すると、電気は復旧した。電話回線もやられていない、大丈夫だ。しかしケーブルテレビとケーブルネット(インターネット回線)が死んでいる。
近くのペンションのオーナーから電話がはいって情報交換。ペンション・サンセットから50mほど奥の電柱に落雷したとのこと。そこから電源を引いている家屋はすべて停電している。またケーブルテレビの回線も死んでいるという。しかもこの電柱に落雷するのはこの数年間で2回目だという。何か地形的なあるいは電気的な(誘電しやすい)要因でもあるのだろうか。
館内の無線LANをメインとするネットワーク機器にも異常は見られない。またパソコン本体および周辺機器にも損傷はないようだ。ボイラーや風呂周りの機器にも異常は見られないから、あとはここの電気および電子機器の損傷チェックを早急に行う必要がある。総合火災保険に加入していれば落雷による損害の多くが補償の対象となるのでこのようなチェックが必須となる。
いずれにしてもこういうときのためにもう一つ電話回線で繋がるインターネットプロバイダーを契約しているのでそちらでHPのメインテナンスや、メールチェックが可能だ。これでとりあえずお客様との通信やご予約の受信に支障はない。
まあお盆休み明けのまさにこのタイミングというのは絶妙で、まさに不幸中の幸いと考えるべきなのかも知れない。落雷から約1時間半後、迅速な対応でケーブルテレビ回線もインターネット回線も復活して、お客様にはほとんどご迷惑をかけずに済んだ。このあたりは年以上に迅速かもしれない。関係各位に感謝。
それにしてもこのような落雷はこれまで経験したことのないパターンだ。これまではまず夕立がありそして落雷があった。今回は「いきなり」だものね。晴天の夕方でちょうど犬の散歩の時間帯だったから、けが人が出なくて何よりだった。実際のところここ数十年で当地で落雷による死者・けが人はゼロと聞いているから、まずはご安心を。
さて、怒濤のようなお盆休みを何とか夫婦二人で切り抜けた。何かを共同でやり遂げたというある種の達成感がある。アルバイトを雇わずにお盆休みを営業したのは開業以来初めてだったから。自分でもやればできるもんだねとちょっと感心しているが、身体の方は(脳味噌の方も)かなり痛んでいるようだ。
この9日間で睡眠時間は合計15時間もない。むしろこれからの数日間の体調に気をつけるべきなのだろう。きっと、どっと疲れが出てくるのかも知れない。いずれにしてもたくさんのお客様にいらしていただくのはペンションを営むものとして最高の勲章だ。うれしくないはずがない。僕らはお客様の期待を裏切らないサービスが提供できたのだろうか、それが心配だ。
寝ていないだの疲れているだのということはお客様には関係のない内輪の事情に過ぎないのだから、そしてベストを尽くしたかどうかもその結果がベストでなければ意味がない。このお盆休みに僕らは自分たちの仕事についてじつにさまざまなことを学び改善を行うことができた。また進むべき方向性も確認できたように思う。お客様に心より感謝。
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