曇り時々晴れ 気温:最低 11℃/最高 20℃
昨日、ようやく梅雨明け宣言が出ました。
蓼科の気候も劇的に「真夏」になりました。
湿度が低く、気温はめったに20℃を超えず、それでいて日中の陽射しは海よりも強烈に「熱く」て紫外線量は1.7倍もあります。朝晩はぐっと冷え込んで、極端な場合は7℃まで気温が下がります。窓をしっかり閉めて、冬のように厚着をして、冬用のふかふかの羽毛布団にくるまって眠るというのが、ペンション・サンセットの夜です。
自然の音以外はなにもしないので、不眠症の方や寝付きの悪い方でも、ほとんどの方が「よく眠れました」とおっしゃいます。自然の音と言いましたが、初めていらした方にはそれはおそらく聞こえないかも知れません。ただ、こんなに静かなところは初めて!・・・と感じるだけかも知れません。
森を吹く風の音、葉擦れの音、雨が木の葉を打つ音、野生動物の気配、野鳥の歌声。
心と体がなじむに従って、いろいろな音を聞き、気配を感じることが出来るようになります。森の精の気配だって感じることが出来るようになります。これは「たとえ」ではありません。すくなくとも、「感覚的事実」です、実際の体験です。
これまでのペンション・サンセットの良いところはそのままに、新たな地平を開かなければなあと思ってずうっと思案を巡らせてきました。この1年のチャレンジはどうも的を射ていなかったようです。が、決して諦めないのです。
これまでのペンション・サンセットがバージョン1.0だとするならば、バージョン2.0に進むのだという強い決意があります。言葉を探しているのですが、なかなか良い言葉が見つからないでいます。ちまたではやっている Web 2.0 という言葉・概念同様に、サンセット2.0 もなかなか表現することが難しいのです。
いずれにしても、ひとつはっきりしていることは、私は私らしい宿しか作り上げられない、ということだと思います。私を嫌いなひとは私の宿に来ては下さらないだろうと言うことです。観ようによってはこれは「緩慢な自殺」行為なのかも知れません。
それでも、私が私であるように、お客様にも本来の自分であって欲しいと願っているのです。すくなくとも、ペンション・サンセットに滞在している間だけでも「本当の自分」であってほしいと願って、この宿を続けています。
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晴れ 気温:最低 7℃/最高 18℃
関東甲信越地方にもようやく「梅雨明け宣言」が出ましたね。
昨年より5日ほど遅いとのことですが、そうでしたっけ?
それはそうと、今朝はこれまで蓼科高原日記で記録した8月の最低気温を更新しました。なんと7℃です。これまでの最低記録は8℃でしたから、これはすごい。日中30℃を越える平野部にすんでいるひとにはちょっと信じられない気温でしょ。今日もお客様にホントにエアコン入ってませんか?って聞かれちゃいました。
おおおーちょけちょ、って鳴く変なウグイスが毎朝夕庭にやってきます。ますます変な鳴き方になってきています。ボーッとして聞き流していると、ウグイスだと気がつくまでに10分ほどかかるほど変です。いったいどうなっちゃうんでしょうか。
さて、この1年ほどの間、もがくようにしていろんなことにチャレンジしたり勉強したりして改革(?)を行なってきましたが、すべてが灰燼(かいじん)に帰したような気分に浸っている夏です。それはよく考えてみればあたりまえのことで、僕は僕自身からどんどん遠ざかる方向に突き進んでいたのです。
ペンション経営者として自分のペンションの守備範囲をもっと広げようとしてきたのです。しかし、それが擬態(ぎたい)であることは賢い消費者であるお客様にはお見通しだったのだと思います。僕がいらして欲しいお客様はこんな感性のひとだ、とか、こんな世界観・人生観を持ったひとだとかということがバレバレだったのですね、たぶん。
自分を欺くことは出来ても、ひと様を欺くことは出来なかったわけです。
僕は自分に対してもひとに対しても「公正・公平である」ことを求めます。年齢なりに成熟した精神を持っていることを求めます。それは、学歴とか職歴とかそういうものとは無関係で、自分の人生と仕事をしっかり生きてきたひとなら誰でも持っているオーラのようなものです。
僕は人生に対して「ずるい」ひとは嫌いです。相手になにも与えずに、ただ相手からなにかを奪おうとするひとが嫌いです。それは仕事においても人生においても同様です。そしてなによりも、礼儀知らずが大嫌いです。相手を下に観る人間が大嫌いです。
孔子が「知者楽水、仁者楽山」(かしこいひとは水を好み、やさしい人は山を好む)と言っていますが、僕はやはり後者なのでしょうか。いやいや、それじゃあ自分を美化しすぎというものだ。いずれにしても世事に長けたひと付き合いがうまくて商売上手なひとがうらやましいです。
だれだって、多少はここに書いたようなある意味ではネガティブな側面は持っているでしょう、僕だって例外ではない、たぶん「とびぬけて」いるかもしれない。しかし、それに気づいて自分でその部分が嫌だなと感じられるかどうかが決定的な違いになるのだと思うのです。
難しいことをひと様に求めることができるような立派な人間ではないし、自分自身がまず居住まいを正して取り組まなければならないのです。じっさいのところ、すべてのお客様は僕の先生なのです。僕はじつにさまざまなことを、さまざまな人生を送ってこられたお客様から学んでいます。
僕のペンションを好んで下さるお客様、愛して下さるお客様に心より感謝しています。
やはり僕は、このようにしか生きられないし、このようなペンションしか営めないのです。
商売上手な繁盛店は僕には似合いませんし、僕にはそんな大それたことは出来ません。ささやかな宿を、それを愛して下さるお客様のためにこつこつと続けていくばかりです。
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