曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 17℃
朝は曇り、それでも上を見上げれば雲間から青空がのぞいている。標高1900mから上が薄い雲に覆われている。西からどんどん雲がやって来ては北八ケ岳を駆け登って通り過ぎてゆく。ここ数日の天気はころころ変化してどうもとらえどころがない。
今朝の最低気温はいつもと変わらなかったが、大気の冷たさは格別で同じ気温とは思えないほどで、まさに秋の朝のそれだった。朝晩は完璧な秋だ。そして日中は晩夏の趣を増してきている。日差しが和らぎ、それでなくても低い湿度がさらに低くなり、そのために体感気温は実際の気温よりはるかに低く感じられる。
僕が個人的にいちばん好きな季節がやって来た。お盆休み明けから9月中旬いっぱい続くこの気候、この雰囲気が大好きだ。文字通り「避暑地の夏の終わり」の風情はとてもセンチメンタルで、つい物思いにふけってしまう。それがまた心地よく心身をいやしてくれるのがこの時節の最大の特徴かも知れない。
この夏は高山植物を始めとして、風景や空の写真をほとんど撮影できなかった。撮影しなかった、のではなくて、できなかったのだ。そのためのわずかな時間すら確保できなかった。よくもまあ乗り切れたものだと、ほっとしている。夫婦二人だけで夏休みの繁忙期、特に「怒濤のお盆休み」にペンションを切り盛りするのはじつに至難の業だとあらためて確認できた。
同時に、しかしそれは不可能では無いということも確認できた。きめ細かな業務改善によって、むしろサービスの質を高めながら、合理的な業務遂行が可能であることが見えてきた。その意味では大変有意義な夏だったといえる。早速その成果を形にすべく、サービス内容の見直しを実行している。
料理も天然酵母パンもますます好評である。豊かな自然の中でゆったりとしたときを過ごすという考え方に賛同していらして下さるお客様も劇的に増加した。そして、リピーターの方も劇的に増えている。どのようなお客様にとって快適である宿であるかということをより鮮明にアピールしていくつもりだ。その方がお客様にとっても宿の選択がしやすくなるからだ。
宿としてどのようなお客様も排除するものでは無いけれど、実際いらしていただいたときにそこにミスマッチがあってはならないと考える。ペンション・サンセットがお客様が望む通りの宿であるのか否かを可能な限り正確にお伝えしなければならないと考えている。また、どのような要望を持ったお客様にとっては適切では無いコンセプトの宿であるかということも伝えていかなければならないとも思っている。
はっきり言えることはペンション・サンセットは「お子様ペンション」とか「ファミリーペンション」というコンセプトの宿では無いということだ。あくまでも「大人の個人客」のための宿なのだ。それも大自然の中で静かに休日を過ごしたいと望むお客様のために特化した宿である。
もちろんファミリーもよろこんでお迎えしているが、あくまでも「大人」が主役であるということを強調する必要がある。大人になったときに困らないようにように、いま周囲のひとに迷惑をかけないように、日本の現代の子供には特に「公共の場(パブリック・スペース)」でのマナーを教育することこそが必須だと考える。
しかし、子供には子供の時間の流れがあり、それぞれの年齢に応じた子供の行動様式があって、それは極めて自然であたりまえのことなのだ。しかし「子供なんだから何をやってもいい」という考え方は間違っている。決然と辛抱強く公共の場での振る舞いかたを教えることが必要だが、突然「力づく」で押さえつけるのは無理があるし、不自然で子供にとってもかわいそうなことだと思っている。
だから、自然にペンション・サンセットの雰囲気になじめるような年ごろになってからお連れいただくのがベストかも知れない。そのような考え方から、基本的には3歳未満のお子様の受け入れは「応談」ということにさせていただいた。ご宿泊日のほかのお客様の構成などの状況によって受け入れ可能か否かをご相談させていただくわけだ。ご理解賜ればさいわいである。
特にリピーターのお客様で小さなお子様のいらっしゃるご家庭は是非ご相談いただきたい。お引き受けできる日はかなり多いと思うので。そしてそのような日は、ほかのお客様に必要以上に気を使うことなく、くつろいでいただけることと思う。
ペンション・サンセットにカップルの頃からいらしていて、その後結婚してお子さんが生まれてというお客様も多い。だからこそ小さなお子さんがいらしても、しっかりとフォローしますからご心配なく。
曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 19℃
今日も夕立があったが、雷鳴は聞かれなかった。雨の降り方も夕立らしからぬおとなしいものだった。やはり夏は(少なくともそのピークは)過ぎ去ってしまったのだ。一時小やみになったものの、雨は再び降り始めた。
深夜、ピラタスの丘はすっかり雨雲の中にはいっている。濃密な霧のような水蒸気があたり一面に立ちこめている。いや正確に言うなら、霧のように雲の粒子が漂っていると言ったほうがいい。雨もいまは霧雨といったほうがいいかもしれない。
LEDのハンドライトの光も5m程しか届かずに真っ白な空間に拡散してしまう。そんななか、シベリアンハスキーのパル(愛犬)と散歩に行ってきた。彼は全天候型の犬だから土砂降りだろうが猛吹雪だろうが関係ないのだ。突き合わされる人間の方が大変だが、それだけに新たな発見も多い。
彼がいなかったらこんな天気の深夜に外を出歩くなんてあり得ないものね。都会から来たひとなら、この真っ白な霧に閉ざされた闇の世界におののくかも知れない。闇の中に息づくさまざまな気配に、もののけを感じて背筋が寒くなって逃げ帰ってくるかも知れない。僕らはすっかりなじんでしまっているから平気だけれど。
闇のそこここから秋の虫の音が聞こえてくる。ルルルルルルルル、ツイーッツイーッ、ジィイイイ、コロコロコロコロ、とさまざまな虫の音が微かに静寂の中の耳鳴りのように聞こえてくる。霧は地上から沸き立ち、雲は上空から吹き下ろしてくるのだ。だからこれは「雲」だと僕らにはわかる。濃密な雲の中を歩く気分はまた格別だ。こればかりは体験したものにしかわからない。
こんなときいちばん心を乱す音はなんの音だか知っているだろうか。そうだ、人間の立てる音だ、話し声とか、笑い声とか、騒ぐ声とか、いや人間の気配そのものがこの静謐に満ちた闇をかき乱す最大の要因なのだ。自然と同調できていない人間はそのような場違いな音を立てるものだから、それはそれでしょうがないのだけれど。
パルと二人で歩くことができるのはあとなん百日だろう。あと何年彼とともに暮らすことができるだろう。どうして犬は人間に比べてこんなにも短命に定められているのだろう。それを思うと胸が締めつけられる思いだ。
《人生とは好きになった場所で、好きなひとやものや犬とともに暮らすことだ。》
ある作家がそんなことを言っていたのを思い出す。そうなんだ、そのとおりなんだ。そのとおりだと思ったから、そうだと確信したから僕はこの地に移り住んだのだ。そんなささやかな望みすらかなえるのが難しい時代になった。いや昔からそれは変わりなくその通りだったのかも知れない。
僕のように《世捨て人》にならなければそれは実現できないのかも知れない。地位も名誉もささやかな自尊心も捨てて、ひとりの人間として、個人として、なんの肩書きも無いただのひととして僕はこの地へとやってきたのだった。
僕は信じられないほど軽やかになった。限りなく自由になった。こここそが自分の居場所だと確信できた。それはいまも変わりない。そして高給取りのビジネスマン時代に比べたらとても貧乏になり、もしかしたら妻や子供を不幸にしたかもしれない。そのことを考えるとやり切れなくなる。彼らはどう思っているのだろうか、訊いたとしても本当の気持ちを語ることは無いだろうしね。
もし彼らがこのことで不自由を感じていたならば僕の死によって彼らは解放されることになる。僕はあまり長生きすべきでは無いのかも知れない。
曇り 気温:最低 14℃/最高 19℃
突然の雷鳴とともに暗闇がすべてを支配した。ブレーカーが落ちた気配もない。目の前の明るい液晶モニターも部屋の明かりもなにもかもが一瞬で死に絶えた。近接落雷だ。しかも文字通り青天の霹靂(せいてんのへきれき)的落雷。なんの前触れもなかった。こんな落雷は初めて経験する。カーテンを開けると外はまだ明るい。青空が見え、雨は降っていない。
真っ暗の状態が続いたが、停電はしていなかった。館内の主電源のブレーカーを再起動すると、電気は復旧した。電話回線もやられていない、大丈夫だ。しかしケーブルテレビとケーブルネット(インターネット回線)が死んでいる。
近くのペンションのオーナーから電話がはいって情報交換。ペンション・サンセットから50mほど奥の電柱に落雷したとのこと。そこから電源を引いている家屋はすべて停電している。またケーブルテレビの回線も死んでいるという。しかもこの電柱に落雷するのはこの数年間で2回目だという。何か地形的なあるいは電気的な(誘電しやすい)要因でもあるのだろうか。
館内の無線LANをメインとするネットワーク機器にも異常は見られない。またパソコン本体および周辺機器にも損傷はないようだ。ボイラーや風呂周りの機器にも異常は見られないから、あとはここの電気および電子機器の損傷チェックを早急に行う必要がある。総合火災保険に加入していれば落雷による損害の多くが補償の対象となるのでこのようなチェックが必須となる。
いずれにしてもこういうときのためにもう一つ電話回線で繋がるインターネットプロバイダーを契約しているのでそちらでHPのメインテナンスや、メールチェックが可能だ。これでとりあえずお客様との通信やご予約の受信に支障はない。
まあお盆休み明けのまさにこのタイミングというのは絶妙で、まさに不幸中の幸いと考えるべきなのかも知れない。落雷から約1時間半後、迅速な対応でケーブルテレビ回線もインターネット回線も復活して、お客様にはほとんどご迷惑をかけずに済んだ。このあたりは年以上に迅速かもしれない。関係各位に感謝。
それにしてもこのような落雷はこれまで経験したことのないパターンだ。これまではまず夕立がありそして落雷があった。今回は「いきなり」だものね。晴天の夕方でちょうど犬の散歩の時間帯だったから、けが人が出なくて何よりだった。実際のところここ数十年で当地で落雷による死者・けが人はゼロと聞いているから、まずはご安心を。
さて、怒濤のようなお盆休みを何とか夫婦二人で切り抜けた。何かを共同でやり遂げたというある種の達成感がある。アルバイトを雇わずにお盆休みを営業したのは開業以来初めてだったから。自分でもやればできるもんだねとちょっと感心しているが、身体の方は(脳味噌の方も)かなり痛んでいるようだ。
この9日間で睡眠時間は合計15時間もない。むしろこれからの数日間の体調に気をつけるべきなのだろう。きっと、どっと疲れが出てくるのかも知れない。いずれにしてもたくさんのお客様にいらしていただくのはペンションを営むものとして最高の勲章だ。うれしくないはずがない。僕らはお客様の期待を裏切らないサービスが提供できたのだろうか、それが心配だ。
寝ていないだの疲れているだのということはお客様には関係のない内輪の事情に過ぎないのだから、そしてベストを尽くしたかどうかもその結果がベストでなければ意味がない。このお盆休みに僕らは自分たちの仕事についてじつにさまざまなことを学び改善を行うことができた。また進むべき方向性も確認できたように思う。お客様に心より感謝。
晴れ 気温:最低 14℃/最高 21℃
きのう深夜から楽天トラベルのサーバーに繋がらなくなってメインテナンスができなくて困っていたが、今朝調べてみたら「定期メインテナンス実施中」だってさ。ほかの業種はとにかく、「トラベル」にとっては書き入れ時の夏休みそれもお盆最終日にこういうことをやる神経がわからない。
これではじゃらんnetに水をあけられても仕方がない、じゃらんは旅というものを理解しているが楽天は残念ながらそうではないようだ。こういうところにインテリジェンスの違いが出るのだと思う。
それはさておき、昨夜もものすごい星空だった。満天の星で、天の川や銀河の中心の星の密集している様が手が届きそうにくっきりと見て取れた。そしてやはり空気がうまい。こんなに空気がうまいと感じたのはここに移住して12年で初めての経験だ。森が生い茂ってフィトンチッドが倍増したのかも知れない。マイナスイオンとフィトンチッドとオゾンの多さでは蓼科は昔からよく知られているのだ。
今朝は気持ちよく冷え込んだ。キーンとした大気が心地よい。半袖ではちょっと肌寒く感じる。お客様はフリースを羽織って散歩に出ているようだ。そうだもう少しすると朝晩には吐く息が白く見えるようになる。しかし日中は真夏の日差しが降り注ぐ。これから1ヶ月ほどはそんな夏と秋とが同居した季節が続く。それは僕にとっても最高の季節だ。年間を通じて最も「癒し」に満ちた季節だ。
お盆休みも今日で終わる。すくなくとも旅行業界的にはそうだ。我々のように夫婦二人だけで営むペンションにとっては(おかげさまで)「怒濤のようなお盆休み」となった。そんなことで、今年もまたお盆休みは「失われた夏の記憶」となった。
一日2時間の睡眠をとることもままならず、三日連続で徹夜するのも当たり前、まともな食事をしたのはお盆休み以前の思い出だ。そこら辺にあるパンとかお菓子とかバナナとかをかじってしのぐのがこの時期の僕らの食糧事情だ。
何しろ分刻みのルーティンスケジュールで忙しすぎて買い物にでられないのだから地元野菜を別としてほとんどすべてを保冷備蓄せざるを得ない。日本中が(市場も休みになっているから)同じような状況で、あらゆる生鮮食料品が保冷備蓄されている。現状としてしょうがないのかも知れないけれど、これはちょっとおかしいと思う。
旅行業とそれに関わる諸産業はお盆に休むべきではないと僕は思っている。最も需要が在るときに公共性の高い市場(いちば)が一斉に休んでしまうというのはどうにも近代的ではない、現代的ではないし論理的でも合理的でもない。だからお盆には物価が高騰するのだ。生鮮食料品も3割も(場合によっては)10割も値上がりするのだ。
この「お盆ツーリズム」は我が国の休暇事情の貧しい一面を端的に表わしているように思われる。
最近のコメント