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今日、床下の通風口を閉めた。去年はいつ頃閉めたんだっけ。サイト内検索で調べてみたら、蓼科高原日記にちゃんと書いてあった。だいたい毎年10月中に閉めて、翌年5月中に開けている。今年は雪が多かったのでいつもより早く開け、雨が多かったのでいつもより遅く閉めたというわけだ。
トップページに設置してある Google(TM) の「サイト内検索」機能はとても便利なので、是非ご利用下さい。さらっと見ただけでは普通のペンションのホームページに見えるけれど、じつは100MBを越える情報が詰め込まれた複合サイトになっているのです。
とくに10年以上にわたる蓼科高原ピラタスの丘の天気と気温の記録に関しては他には存在しないと思われます。当地の気候については過去の日記を参照すれば具体的に状況を把握できるはずです。そしてそのとき僕がなにをどう考えていたか、ペンション・サンセットがどんなふうだったかも。
そのために僕はこの日記を毎日欠かさず書き続けているわけです。ですからこれは「日記」とはいっても「ダイアリー(diary)」ではなく「クロニクル(chronicle)」に近いのではないかと思っています。ですからペンション・サンセットの歴史はここにすべて記されています。
そのような膨大なコンテンツの中にペンションとしてのホームページが置かれているというのがこのサイトの構造です。同時に開設時の1996年というインターネット黎明期の時代背景から「蓼科高原のポータルサイト」的な部分も残っています。当時はようやく Yahoo! Japan(TM) のポータルサイトが開設されたばかりでいまだ日本法人になる前の状況でしたから、そのようなものが必要だったのです。
このサイトは、白樺湖池の平ホテル、マリー・ローランサン美術館とほぼ同時期に開設された蓼科高原で最初の「ホームページ」です。味の素やトヨタ自動車のホームページがまだ存在しなかった頃の話しです。その当時からホームページからの宿泊予約が出来たのがひどく珍しがられ、ホームページで予約してみたいがためにサンセットにお越しになったお客様も多かった。(^_^;)
もっともシステムエンジニアとかIBMとか新日本電気とかIT関連企業の方ばかりでしたけれど。逆に言えばそのような方しかまだインターネットを日常的に使っていなかったと言うことです。白書によれば当時のインターネット利用者数は約510万人だったということです。それが昨年では7000万人を越えています。
時代は大きく変わりました。インターネット界も変わりましたが、世の中そのものが大きく変わりました。ケータイが爆発的に普及し、「ゲーム脳」が人間の思考形態を変化させ、「グローバリズム」という名の市場原理主義が経済を支配し、勝ち組負け組が出現し格差社会化が進み、われわれ人類が平和と繁栄を謳歌すると想像していた21世紀は文化衝突とテロの時代であることが明らかになりました。
そのような枠組みでものを考えるとき、こんなところでオレはいったいなにをやっているんだと思うこともあります。標高1800m近い山の上で仙人みたいな生活を送っているわけですから。もちろん霞を食って生きていくことは出来ませんから、ビジネスとして生業のペンション経営を成立させることに腐心もしています。
長くなっちゃいました。そんなことでいま改めて、自分が「いま、ここに、ある」ことの意味を問い直しているところです。このホームページになにがしかの混乱が見られるとしたならば、そのような個人的事情によるものです。ご容赦下さいませ。
晴れ 気温:最低 - 5℃/最高 8℃
本音とか正直とか公正とか、そんな言葉も概念もおとぎ話の中にしか出てこないのだ。世界は嘘と欺瞞と不公正に満ち、不公平がその実体に違いない。愛という名のメタファーに救いを求めるほか無い。しかし、メタファーはあくまでもメタファーでしかない。愛は人間存在によってのみ存在させることができる。愛はそのままでは生き続けられない。
世の中が公平であるとか、神が正義であるとかいうのと同様にそんなものはわれわれの妄想でしかない。信じる努力なしに愛は永遠ではないし、闘う勇気無しには正義は存在すら危うい。戦争や闘争は人間の原初的性向であり、平和や融和はその合間に訪れるに僥倖(ぎょうこう)に過ぎない。
だからこそわれわれは演技するのだ。この世界は本来的に平和であるかのように、人間は平和をなによりも愛する生き物であるかのように、人間とその社会は必然的に正義と公平を志向するものなのだと。社会正義は必ずなされるものなのだと。愛さえあれば平和は必ず訪れるものなのだと。
別に悲観的にものを見ているわけではない。ことさら斜に構えて世界を見ようとしているのでもない。僕はただ可能な限り公平に見極めたいだけなのだ。僕なりのささやかな勇気を持って。
先日僕は、この日記を書くことが僕の生業でもあるペンションからお客様を遠ざける結果になっているのではないかという疑念を持っていることを告白した。本当にそう考えているのだ。現代社会においてひとは耳に心地よいものを志向する、自我に心地よいものにのみ心が傾く。
時代はまさに誘惑の時代を迎えている。社会はいまや、少なくとも、市場は「女性原理」に従って動き始めている。それは倫理を越えた原理である。それは「心地よさ」こそが市場原理であるような世界だ。
晴れのち曇り 気温:最低 0℃/最高 9℃
10年間にわたる日記を消去してなにもなかったことにしてしまうことは簡単だ。そうするべきなのかもしれない。時代は変わったのだ。そして、僕も変わった、変わらざるを得なかった。米国が蔓延させた「市場原理主義」を核とする「グローバリズム」という名のウイルスは世界を一変させてしまった。
米国は民衆を不幸にした自らの失政を世界に蔓延させることによってチャラにしようとしているかのようだ。「そうだよ、これがふつうなのだ」と。金持ちはチャンスをものにし、ひとの何倍も努力したから金持ちなのだ。君たちにだってチャンスはあったのだよ、怠惰な貧乏人諸君。そういう論理でしょ。
それは違う。金持ちは、権力層はずうっと金持ちだったし、その既存権益を守り通してきた。成り上がったものはほんの一握りに過ぎない。これはお寒いレトリックでしかない。「地主と貧民」という有名なトランプゲームをやってみるがいい、すべてがそこに集約されている。
「グローバリズム」とは少数の特権階級が支配するゆがんだ社会を正当化するためのプロパガンダに過ぎない。新たな「貴族と奴隷」という図式の社会を構築するためのロードマップに過ぎない。既成の事実として語られることはあっても「グローバリズムのもたらした幸福」について誰か語ったことがあったろうか。ゆがめられたプロパガンダとしてではなく、真実としてもたらされた幸福について。
僕は寡聞にして知らない。
晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃
「あたたかいねえ」という言葉が地元でよくかわされている。今日山麓の街のメガマートに行ったときもカウンターの女性とそんな話題になった。「年々温かくなって、それはいいんだけど、やっぱりおかしいよねえ」。
たしかにそうなのだ、これは妙なのだ、おかしなことなのだ。かつてのこの季節なら、石油ストーブや電気ストーブの段ボール箱を抱えて一所懸命クルマに積み込んでいる人が駐車場にたくさん見られたはずなのに、今年はその気配もない。いまだにフリースを着込んでいる人もいないし。
直営の灯油スタンドに並んでいる人もほとんどいないし。やはり温かいというのは実感というのだけでなく、紛れもない「事実」なのだろう。「暖冬」というとなにやら過ごしやすい冬と感じられるのだけれど、じっさいは雪が溶けやすいためにアイスバーンがあちこちに出来てとても危険な道になってしまう。
当地のような土地では暖冬は「鬼門」なのだ。
それはさておき、大きな疑問が頭をもたげてきている。10年間も蓼科高原日記を書き続けてきたことはペンション・サンセットの経営にとってプラスだったのだろうか、マイナスだったのだろうかということだ。ふつうだったらペンションの玄関を入るまでわからないはずのオーナーの人となりとかペンションを支配する雰囲気とかが、日記によってわかるようになっていることが、むしろ集客においてマイナスになっているような気がしてきている。ひしひしとそれを感じている。僕はペンションオーナーとして落第なのだろうか、そんなにひどいひとなのだろうか。
蓼科高原日記があることによってペンション・サンセットはお客様を遠ざけることになっているのではないだろうか。書かれた文章はその瞬間から独立した言葉として伝播していくものだから、どのように解釈されどのように理解されなにを感じさせるかは書いた本人には制御できない。
こうした商売にとって、本音で語るということはタブーであり、耳あたりの良いことだけを書くべきだったのかも知れない。いや、このような日記自体を無くしてしまうべきなのかも知れない。長期的展望に立てばきっとそのほうがよいのだと思う。
商売にとっても「口は災いの元」なのだ。なにも語らない方が想像力を刺激できるしね。僕はおしゃべりしすぎたのだ、たぶん。現代社会においてはむしろ「情報を制限する」ことによって「情報飢餓状態を発生させ」て、結果として衆目を集め「特定の情報」の集中的情報摂取を促すことが出るのだ。
ソフトバンクが今回の広告キャンペーンにおいて「予想外だ」と「¥0」しか語らなかったのは、そのような手法に則っていたからだ。結果は大成功といって良いと思う。このような手法が成功するなんて、なんて幼く貧しい精神が支配している社会なのだろうと個人的には思うのだけれど。一人一人はおそらくとても賢く良識あるびとひとなのに、集団としての社会を形成するとこのていたらくだ。いまなんとかしなければ、このままでは簡単に戦争に駆り立てられてしまう。
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