晴れ 気温:最低 13℃/最高 20℃
今日は朝から快晴、気持ちのいい秋晴れになった。午後一時曇り空になったが、その後ふたたび空は晴れ渡り美しい月と星空を堪能できた。「天高く馬肥ゆ」とはよく言ったもので夜空もやはり秋にはずいぶん高く感じる。その空気感がたまらなく爽快だ。
ペンション村の《お散歩ひろば》に植えたたくさんのコスモスが満開になった。例年よりだいぶ遅い満開だけれど、柔らかな陽射しの元でそれが風に揺れる姿はこの上ない秋の景色になっている。
9月は命の季節が終焉を迎える時節だ。植物の生育が終わり、結実し、それを落としあるいは播種し、紅葉しやがて落葉を迎える。動物の世界でも緩やかな世代交代が進行する。森はゆっくりと静寂の世界へと変わってゆく。
今夜もとても静かだ。夜更けだからと言うことでは無く、一日中静かなのだ。活気がないと言うのとも異なる、野卑で無粋な人間がそれをぶち壊さない限り続く、永遠を思わせる静寂だ。僕の人生もいまはっきりと《秋》と言う季節へと移ろっているのが実感できる。だからとても親しみを持ってこの季節を迎えるようになった。
秋は生命の終焉の季節であると同時に、収穫、結実の季節でもある。生命のピークである夏と言う季節を終えて、実りの時を迎える。人生で言うならばじつは黄金期と言ってもいいのかも知れない。確実に死へと近づいたのは確かでもそれは自然の理(ことわり)、長い上り坂もゴールが見えてきたと言うことなのかも知れない。
死が恐ろしいのでは無い。死へのプロセスが恐ろしいのだ、少なくとも僕はそう思う。死はつねに生とともにあり、それはひとつのものなのだ。だから、動物たちのようにそれをあたりまえのこととして自然に受け入れることができるようになりたい。人間は動物たちのように《いまを生きる》ということができていないから、生(つまり人生の現実ね)も死(つまりゲームオーバーね)も受け入れることが困難なのかも知れない。
それはさておき、じつに動物の自然治癒力はすさまじいものがある。愛犬パル君(シベリアンハスキー)の手術跡はよく見ないとわからないほど治癒している。麻酔が醒めた日はもとより、翌日夕方までまったく痛がらなかった。
夕方になって多少違和感を訴えてお尻を気にし出したので、もらっておいた痛み止めの錠剤を与えると、再びまったく気にしなくなり今日に至っている。昨日からなにごとも無かったかのように元気に散歩に出かけている。
獣医さんから10日後の抜糸がひと騒ぎでですよと言われているので今から覚悟している。なんでもない手術準備処置であんなに大騒ぎしたから、そんなふうに思っているのだろう。確かにパル君はそういうところで臆病で大騒ぎすることが多い。人間の悪意にさらされた経験がまったくないので、とても甘えん坊なのだろう、たぶん。
とは言え彼の戦闘能力はドーベルマンを上回るから、我々家族以外は彼を自衛的戦闘モードにさせないように注意して接するようにしなければならない。そうしないとふだんのグータラしたなごみモードから一気に精悍なコンバットモードに変わるのだ。
僕はパル君がペンション・サンセットにやってきて以来12年間、じつに多くのことを彼から学んだ。彼と一緒に過ごす時間は、彼の時間が流れる。それはわれわれ人間の時間とは決定的に異なった時間の流れだ。その中で、僕は生命にとってとても大切なことを自然に学ぶことができたように思う。彼の一挙手一投足が自然からのメッセージのように感じられた
獣医さんからは年齢のわりにとても健康なのであと3年は確実にこのまま元気で過ごせるだろうと言われた、そもそもハスキー犬は長生きだから、と。あと何年、あとどれだけ、僕はパルから教えられる日々をともに過ごすことができるのだろう。それが永遠であればいいのに。
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