晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃
熱に浮かされ伏せっていると、枕元に暖かな存在を感じる。正座して僕に優しい視線を落としている。若い女性の気配だ。
「きみなのかい?」と僕は訊く。
「そうよ」と彼女は応える。
「もしかしてきみはもう死んでしまっているのだろうか」
「まさか」と彼女は笑いながら応える「まだ生きているわ」
「ナオミだろ、きみは」
「どうかしら」と言って彼女はくすくす笑う。
「ちゃんと憶えているさ、きみのしぐさや笑い方やそのすべてをいまだって」
「そうよ」と彼女は応える「でもあなたは私がどれほどあなたを愛していたかわからなかったじゃない」
「ごめん、僕は自分の心を偽っていたんだろう、たぶん」僕は声にならない声で応える「きみのような女性が僕を本気で愛すはずがないって思いこんでいたんだ」
そんなことわかっているわ、というような沈黙。
「あなた、自分で死のうと思っているのね」と彼女は言う。
「どうして?」と僕。
「わかるわよそんなこと、私はあなたの強いところも弱いところも知っているんだもの、もちろん善いところも悪いところもね。」
そうだ、と僕は白状した。僕は自分の死亡保険金を借金の返済に充てようとしている。馬鹿な行為かも知れないが、僕にはもうそれ以外の手だてが考えつかないのだ。
「死んでしまうのね」と彼女は声を落とす。
30年以上会っていないなんて信じられないような親密な空気があたりを満たしている。彼女はあの頃のまま何一つ変わっていない。目には見えないけれど僕にはそれが感じられる。
「あなただって、あの頃のままひとつも変わっていないわよ」と彼女は言う。「あなたは私の誇りだった、あなたを愛していることが私のプライドだった。知ってた?」
「知らなかった」と僕は告白する「僕は何できみのような家柄にも才能にも美貌にも恵まれた女性が僕なんかを愛してくれるのかがわからなかった。」
「馬鹿ね」と彼女は小さな声で言う「男の人ってどうしてそんな考え方しかできないのかしら。私はあなたのすべてを愛したの、愛さずにはいられなかったのよ。」
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高山の希薄な空気は時として不思議な世界へと僕らを誘(いざな)う。
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