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10年間にわたる日記を消去してなにもなかったことにしてしまうことは簡単だ。そうするべきなのかもしれない。時代は変わったのだ。そして、僕も変わった、変わらざるを得なかった。米国が蔓延させた「市場原理主義」を核とする「グローバリズム」という名のウイルスは世界を一変させてしまった。
米国は民衆を不幸にした自らの失政を世界に蔓延させることによってチャラにしようとしているかのようだ。「そうだよ、これがふつうなのだ」と。金持ちはチャンスをものにし、ひとの何倍も努力したから金持ちなのだ。君たちにだってチャンスはあったのだよ、怠惰な貧乏人諸君。そういう論理でしょ。
それは違う。金持ちは、権力層はずうっと金持ちだったし、その既存権益を守り通してきた。成り上がったものはほんの一握りに過ぎない。これはお寒いレトリックでしかない。「地主と貧民」という有名なトランプゲームをやってみるがいい、すべてがそこに集約されている。
「グローバリズム」とは少数の特権階級が支配するゆがんだ社会を正当化するためのプロパガンダに過ぎない。新たな「貴族と奴隷」という図式の社会を構築するためのロードマップに過ぎない。既成の事実として語られることはあっても「グローバリズムのもたらした幸福」について誰か語ったことがあったろうか。ゆがめられたプロパガンダとしてではなく、真実としてもたらされた幸福について。
僕は寡聞にして知らない。
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