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ぼくは疲れている、とっても。というか、徒労感に襲われている。こんな格差社会になっちゃったから、みんなもそうかもしれないけれど。(^_^;)
これは宿泊業および旅行業界全体の構造的問題でもあるのだけれど、ペンション業界も安売り第一の消耗戦という、仁義なき戦いの時代になってしまったからだ。見識を持って独自の道を歩み、それを評価してくださるお客様によって成立する時代は終わってしまったようなのだ。
どうせペンションなんて社会的敗者とか変わり者がやっている「安宿」ぐらいにしか思われていないのかも知れない。その認識はイエスでもありノーでもある。
それは個別のペンションの問題だからだ。しかしはっきり言っておきたいのは、社会的成功を収めた後の人生としてペンションを始めた人もたくさんいるけれど、ぼくみたいに社会的敗者となった経験があるからこそ出来る心遣いだってあるし、変わり者(?)だからこそステレオタイプではない独自の道を歩んで安らぎや新鮮な出会いやおもしろさを体験できるペンションだってあるのだということだ。
じっさい、ペンションオーナー夫妻の最終学歴は平均よりずいぶんと高いし、その子供たちの学歴も相応に高いのだ(偏差値60〜75)。職歴も一部上場以上のそれなりの大企業、特に金融やマスコミ出身者が多い。まあ、いっぽうで若いときから独立独歩でやってきたつわもの(=ひとかどの人物)も多い。ちなみにぼくは(株)電通の本社で約20年間切磋琢磨した。妻はANAのキャビンアテンダントだった。結局ぼくの方は燃え尽きてドロップアウトしちゃったけれど。(^_^;)
それ以上に、場合によってはゆうに1億円を超える開業資金をきちんと調達したことは特筆に値すると考えている。ペンションは少なくとも、1990年代に開業したぼくのような場合は、それだけの資本投下がなされているのだ。本当の意味での社会的敗者に始められるビジネスではない。
それはさておき、グローバルスタンダードを標榜する社会というのはローカリズムを否定する社会だ。金太郎飴みたいに切っても切っても同じ顔が出てくるような資本原理主義社会だ。米国発のこの「格差社会を基本とする不幸のシステム」を我が国は「輸入」すべきではなかった。
そのことは米国のノーベル賞受賞経済学者スティグリッツの著書にあるとおりだ。読めばわかるけれど、グローバルスタンダードを導入している(あるいは賛同している)国は世界中を見渡してもほんの数国に過ぎないという事実。我々は騙されているのだ。
ことかようにペンションもどこも同じようなサービス、同じような設備、同じような料理、そして同じような安売り価格へと落ち込んでいかざるを得ない現実としての流れがある。そうしないと低価格戦略に転じたホテルや大型旅館に対抗できないのだ。大型小売店の進出によって滅びてゆく地元個人商店街を見るような思いだ。
しかしそのような流れに逆らって、必死に知恵を絞り骨身を削って新しい概念、ポジショニングそしてサービスを創出しようというペンション経営者が集まっているのがペンション・サンセットのあるピラタスの丘ペンション村だと、個人的には思っている。寡聞にして他のペンション村のことは知らないけれど、同様にがんばっている経営者はたくさんいると思う。
一般論を言うなら、もうペンションなんていう概念自体が必要とされなくなったのだ、と個人的には感じている。まあ、ぼくは個人としてこの「ペンション」という「呼称」および「概念」には違和感を覚えているので、いつかそれを覆した概念を確立したいと思って日々無い知恵を絞っている・・・のですが。はてさて。
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