曇りのち晴れ 気温:最低 2℃/最高 14℃
ずいぶん暖かくなった。そうだ、「温かくなった」から「暖かくなった」というように「あたたかさ」の質が変化したのだ。未明にはさまざまな野鳥の声を聞くようになった。今朝はキジバトの声で目が醒めた。夜中でもなにやら不思議な鳥の声を聞くことが増えた。
そいういえば先日、夜中にキューンという声に気づいて特大のマグライトで隣りの空き地を照らすと光束の先に金色の4つの目があった。おぼろげながら顔の輪郭も見える。目の高さや大きさから判断してそれは野生の鹿だと思った。
2頭の鹿が隣りの空き地を横切っているところだったのだ。とするとこれは「群(むれ)」に違いないので、彼らの進行方向を照らしてみる。やはりいた、今度は8つの目が夜の闇に浮かび上がった。あるひとにとっては、あるいはかつての僕にとっては、これはファンタジックな出会いだろう。
しかしいまは事情が異なっている。それは野生の鹿による「食害」問題だ。じっさい、TV報道されているとおりのことがここでも起こっている。健全な森林が生育するために必須の下草はもとより貴重な高山植物に至るまですべて食べられてしまう。
それを食い尽くすと今度は樹木の皮を引きはがして食する。その結果樹木が枯れ死んで倒木となり森が死に絶え、山は崩落を始める。鹿が棲息する限り、そして(天敵が存在しないために)とどまることなく増殖し続ける限り、その崩落はとどまることなく、最終的には貴重な水源地を土砂で埋めて消滅させてしまう。
これはいま現実に起こっていることだ。
生態系がこのように狂い始めた原因は、元はといえば「人間の存在とその営み」なのかも知れない。しかし、この問題に関しては人間が悔い改めたところで、なんら解決しない。人間の責任や道義論や動物愛護や自然保護について議論している間にも、森林崩壊、水源地消失は始まっているのだ。
われわれはこの「いまそこにある危機」に対応しなければならない。
21世紀とはまさにわれわれが「落とし前をつける時代」なのかも知れない。
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