雨 最低6℃ 最高13℃
昨夜半から降り始めた雨はかなり本格的なもになり、終日本降りとなりました。車がすっかり洗車できてしまうほどびしゃびしゃと降っています。そんな雨の中でも、自分のテリトリーを守るために必死に鳴き交わす野鳥の声が森にこだましています。
ここまで降られると今日は屋外作業は何もできません。農家の人や土木建設業の人はそれでも仕事をしているのでしょうね、大変なことです。それなのに、そういう仕事は「肉体労働」と呼ばれ古来より「知的労働者」と呼ばれる人々よりも格段に賃金が安いのはいったいなぜなのだろう。
ホワイトカラー出身の僕がこんなことを思うくらいだから、当事者の人たちの思いはいかばかりかとちょっと考え込んでしまいます。そもそも賃金は労働の対価であるという考え方というか、定義そのものが違うのではないかと思う昨今です。
賃金とは社会的優位に立つもの(すなわち経済的勝者)が社会的弱者を使役するためのインセンティブに過ぎないのではないかと思われてくる。そうでなければ「会社は株主のものである」なんて暴言を吐いて捨てるやからが闊歩する現代のような世の中は成立しない。
企業は確かに株主のものであるかもしれないが、企業活動は社会的なものなのだ。経済は資本家が金儲けをするための活動ではなく、社会を成立させるエンジンのようなものなのだ。そこには社会的使命とか社会的モラルとか社会的責任そしてある種の金儲けとは背反する理念がなければならない。
そいういったものをすべて無視して経済をゲームにしてしまったのが、金だけはたんまり持っている「ネオコン」という拝金主義資本原理主義者たちだ。かれらにはこの世界をよりよいものにしようとか、自分のマネーゲームが世界や社会やそこに暮らす市民にどのような影響を与えるかなんて金輪際考えない。
あるのは金儲けという勝利を目指したゲームだけだ。このようなやからが支配する世界は闇であり、社会的病(やまい)であるといわざるを得ない。貨幣経済はカタストロフィーの一歩手前まで来てしまったようだ。それにつけても我が国政府の脳天気ぶりにはあきれてものもいえない。
彼らには自分の国の経済や企業やそこに働く市民を守ろうという気概のかけらも感じられない。グローバリズムというスローガンの元に世界制覇を目指す米国ネオコン集団の意のままに「ぱしり」のごとき言動を繰り返すばかりだ。米国ネオコンの手先たちによっていったい幾百の伝統的日本企業が「公的資金」という名の血税を持参金にして外資にたたき売られたか、リストアップしてみるがいい。昔懐かしい「売国奴(ばいこくど)」という死語は彼らのために復活すべき時だ、と思うのね、最近。
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