曇り一時雨 気温:最低 5℃/最高 14℃
いつの間にか霧に包まれていた。さっきお客様をお見送りしたときには曇ってはいたもののもっと明るかったのに、激変した窓外の景色にいささか驚かされた。やはりここは亜高山帯なのだ。山麓から見たならば、これは霧ではなく雲であることが認識できる。しかしここにいる限り長年ここで暮らしてきたものにしかその違いはわからない。
先ほどまで歌っていたホトトギスやウグイスそしてアカハラはいまはどこかで息を潜めている。キジバトの声だけが静かな森に響いている。未明から早朝に歌う鳥たちはいまは休憩時間なのかもしれない。いやじっさいは生きるための活動に忙殺されているのだろう。
彼らを見ているとつくずく思うのだけれど、生きるということは限りない「闘争」なのだ。終わりのない「闘い」なのだ。人間だって本来はそのように生きる定めなのかもしれない。しかし気の遠くなるような歳月の後、そうではない文明社会、経済社会を構築してきたのではないか。
弱肉強食の原理の元で切り捨てられ抹殺されてきた人たちも共に生きることのできる社会を実現したのではなかったか。しかし時代はいま、力尽くで「昔帰り」を画策する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する世界へと大きく梶を切っている。
それは間違っている。そこに人類の幸福と安寧に寄与する世界構築に向けてのヴィジョンが欠けているからだ。あるのはひたすら資本を太らせるという近視眼的欲求だけだ。いったいあなたたちは何をしたいのだ?この世界をどうしたいのか?答えられないだろう。そんなことはどうでもいいからだ。
いま世界の多くの政権が後ろ暗いものたちの、特権階級の、既得権者の傀儡(かいらい)として正体を明らかにしつつある。これまでの人生を通してノンポリティカルを通してきた僕でさえそう思うのだから、これは確かなことだ。いかなるイデオロギーにも僕はくみしないけれど、このような「心を持たない」政権は早く終わらせ梶を切り直さなければならないと思う。
どうして僕がいかなるイデオロギーにもくみさないと誓ったか、それは「イデオロギーは無垢の人を殺す」からだ、心を持たない殺戮者を作り出すからだ。それが「理論に従って人を殺す精神的装置」だからだ。人間から崇高な精神と明晰な思考力を奪うからだ。この世界を支配するのが結局は(軍事力、政治力、覇権等々どのように呼ぼうが)「暴力」とそれを操る「金」だと指し示すからだ。
僕らは彼らとこそ闘わなくてはならない。
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