晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃
ようやく夢を見なくなった。正確に言うなら、覚醒後、夢を見たことを自覚しなくなった。いつだって夢は見ているのだ、脳が生きていて眠っているときには。
この秋は夕方や早朝に野生の鹿の遠吠えを聞くのが日課になった。キューンというもの悲しげなその声に深い森を想像し、じつは自分がそのまっただ中にいることを自覚する。以前はこの季節の夕刻に必ず聞いていたアカハラの歌声を聞くことが無くなったのはやはり気象異変の影響なのだろう。
至福の時は、そう思った瞬間から消え始めるものなのだ。
時間よとまれ、と願う。
しかし時間は止まらない。
どんどん先に行ってしまう。
深夜、いや、もう夜明けだ。愛用の旧いラジカセでマイルスの「ブルー・イン・グリーン」を聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」を読む。1987年製のビクターのラジカセで聴くマイルスは古き良き時代のにおいがする。1987年発表の「ノルウェイの森」もまた、僕の青春時代の香りがする。
外は静寂に支配されている。窓外にはシベリアンハスキーのパルが静かな寝息を立てている。野生鹿の遠吠えもいまは聞こえない。野鳥のさえずりもこの季節にはもう聴くことは出来ない。ピラタスの森は息を潜めて夜明けを待っている。
紅葉や観光情報のことばかり書くのにはいささか疲れてしまったというのが本音なのかも知れない。もっと他に書きたいことがあるのかも知れない。だから書けなくなってしまったのだろう。あるいは、書くことが苦痛に感じられるのだろう。
こんな夜明けには自分が本当に愛したのは誰だったのか、本当に愛したものは何だったのか、そんなことがぼんやりと見えてくる。そのひとがいまどうしているのか気にかかる。知ったってどうにもなるものでもないのだけれど。
自分が本当に愛したものが何だったのかを知ったとしても、いまさらどうにもなるものでもないのだけれど。それでも、知ることは意味のあることだ。それらはいまここにいる僕の本質を形成するものだから。
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