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般若心経の冒頭で
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
と語られるが、
これって、ゲーテが「ファウスト」の終末でファウスト博士に言わせる「万物はメタファーだ!」という科白と同じことを言っているのだと気づいた。
上記の「照見五蘊皆空」ってとこね。ちなみに「五蘊(ごうん)」とは「人間を成り立たせている五つの要素。色(しき=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎよう=心の作用)・識(=意識)。」のこと。
「空(くう)」とは「なにもない、空っぽだ」と言うことではない。「無」が「何にもない」ということではないのと同じだ。
「空(くう)」とは「存在の充満」であり「存在の根源」をあらわし、「無」はそれが「存在」として姿を現していない状態すなわち「不在」をあらわしている。
言葉を変えれば、「無は存在する」のだ。「無」とは「非存在」ではない。同様に「空(くう)」は「空虚」ではなく、その対極にある概念なのだ。
メタファーとして存在を現す以前の存在の充満した世界こそが「空(くう)」である。
ちなみに、数学において「ゼロ(零)」はインド人によって「発見」されたわけだけれど、ゼロとは「無」ではない。ゼロは「存在」するからこそ「発見」できたのだ。
「空(くう)」とは「全存在」あるいは「ビッグバン以前からの宇宙の全体」であり、「無」とは存在が「メタファー」としてかたちをなさないでいる状態を言う。
あるいはそれは「存在の不在」と言っても良い。たとえば「彼は留守で、居ない」というときのように。彼はこの世界に存在するがここには「不在」であるというように。
ちなみにここでは、「存在」の反対概念は「非存在」であり、「無」の反対概念は「有」である。
「空(くう)」の反対概念は存在しない。(「空虚」の反対語は「充満」だけれど)
反対概念(対立概念)と反対語とは似て非なるものなので混同しないで下さいね。反対概念は論理的なものであるのに対して、反対語はおおむね慣用句的なものだから。たとえば「存在」の反対語は「滅亡」というように・・・ね。
なんて、たまには好きなことも書いてみたいのね。
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