晴れ 気温:最低 - 1℃/最高 + 8℃
とてもきれいな夕暮れだった。ピラタスの丘の夕暮れはいつだって感動的なのだけれど、今日はまた格別だった。日が落ちたあとの残照を、僕はいつまでも眺めていた。あまりにも美しすぎて、まるで現実ではないみたいだった。そんな情景というものが、この世界にはあるのだ。だれだって、そんな経験があると思う。
朝窓を開けると、森からは野鳥たちの地鳴きが聞こえる。ぴーぴー、ひゅーひゅーというその声はまるで誰かが口笛を吹いて野鳥のまねをしているみたいだ。森の野鳥の数は日増しに増えている、そしてその活動もどんどん活発になっている。
リスや狐や狸、そしてニホンジカの活動も活発になってきている。彼らの姿を目にする機会も増えてきた。ここは自然のまっただ中なのだ。当然と言えば当然なのだけれど、なんだかわくわくしてくる。春はもうすぐそこまでやって来ている。ドアの前に立ち、いままさに呼び鈴を鳴らし、主(あるじ)に季節の扉を開けて招き入れられるのを待っているいるようだ。
そして僕はといえば、まるで秋のように、心がどんどん透明になってきている。春にこんな感覚になるのは初めての体験だ。どちらかといえば、多くのひとがそうであるように、得体の知れない高揚感がわき起こって落ち着かないものなのだけれど、今年は様子がちょっと異なっている。
年齢的なものなのか、個人的な変化なのか、よくわからないけれど。
そういえばいつのころからか、社会事象や事件について怒ったりぼやいたりと言うことが少なくなったように思う。そんなことをしてもなにも変わりやしないと拗(す)ねているわけではない。いろんなことをあきらめてしまったわけでもない。
ただ、ひたすら、こころが静まりかえっているのだ。それはまるで大きな湖水の水面のようだ。波ひとつ無く、鏡のように青い空と白い雲を映している。大きな石を投げ込んでもその波紋は岸までたどり着くことはない。
目を閉じれば、そこには広大な薄明の世界がある。僕はいまやそれをはっきりと感じることができる、見ることすらできる。そして、それこそが「本当の自分」と呼ばれる僕自身そのものであることを、いまでは確信できるのだ。僕はどこへも行くことはできない。ここが僕の場所なのだ。ひとは自分自身から逃れることはできない。
※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。
最近のコメント