こころのかたち(shape of my heart)
感情がある、ということと、心がある、ということとは似て非なるものだと言うことをはっきりと認識した。つまり、感情はあっても心のない人間だってこの世には存在しうるということを確信したと言うことだ。それは倫理でもなく論理でもなく、まさしく「こころ」を持っているか否か、というクリティカルな問題なのだ。
心が無くても人に親切にすることはできるし、助けることだってできる、そのことによってその人に愛されることだってできるかも知れない。しかし、心を持たない人間はその愛にこたえることはできない。本当の意味で愛することができない。相手をどんなに好んだとしても、心がなければそれは愛とはなり得ない。
心は不確かで儚いものだ。いつの間にか失っていたとしてもすぐには気づかないほどだ。人に愛されることになれてしまっている人は特に気をつけたほうがいい。心を盗むとか無くすとかというのは比喩に過ぎないけれど、たしかに、こころが無くなってしまうことや最初から無いと言うことはありうるのだから。
もし、ひとと思いや感動を共有できないのなら、それはちょっと危ない兆候だ。価値観や嗜好性の違いならば何の問題もないけれど、もしそうでないのならば、あなたの胸の内に「こころ」というものがまだあるかどうかしっかりと確かめたほうがいい。
こころとは、愛をはぐくむゆりかごなのだ。
願わくば、僕も、そして僕の愛する人もそれを失ってしまうことのないように。あるいは最初から持っていない哀しい人でないことを祈る。愛にこたえてもらえない苦しみより、愛にこたえられない苦しみや哀しみの方がはるかに大きいからだ。
こころとは、あなたの精神のコア(核)とでもよぶべきものなのだ。
あなたの「こころのかたち(shape of my heart)」をいま一度確かめてみてはどうだろうか。
僕はすでに「こころ」を無くしてしまったのかも知れないのだけれど。
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