過ぎてみればあっという間に2月も終わりです。ゲレンデではスキー協会の講習を受ける仲間の姿が目立つようになりましたが、今シーズンの僕には無縁の世界です。いまの僕にはこれ以上ここが悪いあそこを直せなどと言われてもとても対応できないほど飽和状態なのです。というか「そんなことはわかっている」って言い返したくなる状態なのです。 いま必要なのはここがいい、そこがよかったという褒め言葉というか前進したことに対するご褒美なのです。日本スキー教程に欠けているのはそのようなヒューマンファクターに関わるノウハウではないでしょうか。理屈はわかったからもう結構だ、だから要するになんだって言うんだ、と思うのね、僕なんかの場合。正論を正攻法で教え込もうとしてもそれはもはや時代錯誤ではないかと思う。 たとえばスキー教師から「もっと膝を使って!」といわれても「いつなんのためにどのように使うか」という教えはないというのがいまのレッスンの傾向ではないかと思う。あるいは「もっとスピードコントロールをして!」といわれてもその対処法は示されない。スキー操作における減速要素、加速要素を体系化できていないからそういう指導しかできないのだ。確かにそのようなことは自分で学んで練習すべきであるのは正論であるけれど、独学では困難なものについては指導者がきちんと身をもって進路を指し示すべきである。 僕が言われたもっともひどい指導(?)の言葉は「##さんは勘違いしているんだよなあ」です。なにをどう勘違いしているためにどうなってしまっているのか、まともな指導者ならばそれをきちんと説明するのがプロというものでしょう。もしそうでないならばこれは単なる揶揄(やゆ)でしかない。それならば断じて許せない。これは有料レッスンなのだからね、一事が万事この調子だからスキー人口の減少は続くのだ。スキーを「スキー道」にしてしまうのは自由だけれど、それは個人的な問題であってスキー協会というような組織がそれを押しつけるというのはいかがなものか、よく考えてみて欲しい。 せいいっぱい好意的に理解するならば、要するに指導者の言語的表現能力、具体的に言うなら内的運動感覚を体系的に言語化して表現する能力が不足しているということだ。理論を聞いただけで即身体で表現できるならスポーツはあまりにもたやすい。スクールに入ってレッスンなんて受ける必要はない。上に書いたような指導を受けると、それはレッスンを長引かせるための出し惜しみではないのかとすら感じられることがある。僕でさえ膝の使い方については体系的に語ることができるのだから。もっと言語表現能力、内的感覚を言語化する能力を身につけて欲しい。 この発言の根底には現在の指導体系がいまだに「スキー指導者を養成する」というスタンスを引きずっているという信じがたい事実に対する問題意識がある。一刻も早く「安全に最大限に楽しむための方法論」へと転換しない限りスキー人口の減少は続くと僕は感じている。まあ、ゴルフにも似たところがあるけれど、あちらはそのあたりがうまくいっているじゃない、おとなだなーって思いますね。 --- ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆
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