午後9時頃には雲海の中に入ったらしく、 窓外は濃霧状態になってなにも見えなくなった。 スポットライトすらその光束は途切れてしまう。 雲の粒子がありとあらゆる光を吸収してしまうのだ。 残るのは純粋な闇だけだ。 しかし、それはそれでなかなか感動的な体験ではあるのだけれど。 いまはもう霧は晴れているが、 頭上には分厚い雲があり、 雲の上から照る月の光も淡いものになっている。 いつもどおりとても静かなピラタスの丘(の夜)だけれど、 その静寂の中にいのちの気配を感じるようになってきた。 もうすぐ春なのだ、 といっても都会のひとからみればあと2ヶ月近くは冬の気候が続く。 ピラタスの春は冬なのだ。 しかし、ここではここなりの春が確かにやってくる。 樹木の周囲の雪が丸く溶け、 木が水を吸い上げ始める。 それはまさに森の胎動だ。 小動物がまるで冬眠から醒めたみたいに活動量を増やす。 空の色が変わり、 雲のかたちが変わり、 陽射しのベクトルが変化し、 熱量が増す。 風のにおいが変わり、 音の伝わり方が変化して、 空気が柔らかくなってくる。 それを感じる度に ぼくは冬景色の中に新緑の春の森の幻を見る。 つがいの時期を迎えていのちを謳歌する 野鳥たちの大合唱を聴いたような気がする。 今夜も パルの犬舎のすぐ前を 野生のキツネ(通称コンちゃん)が通って、 パル君がスクランブルをかけた。 もし彼が繋がれてなかったら、 コンちゃんはとんでもない災難に見舞われたことだろう。 しかしコンちゃんもパルが繋がれていることを知っているので、 こうしてすぐ近くまでやってくるらしい。 悪意は感じられない、 むしろ パルに対して親密な感情を抱いているようにさえ見える。 シベリアンハスキーは そんな野生のにおいを持った 数少ない犬種なのかも知れない。 スクランブルをかけるときでも パルは一切ほえたり声を立てたりしない。 無駄吠えもしないし、 他の犬に吠えかけられても 吠え返さないで無視する。 そして、 自分の気配を消すのがとても上手だ。 そんなパルを僕らは「ステルス犬」と呼んでいる。 ほんとうに いるのかいないのか忘れてしまうほど 静かなのだ。 そして天然で、 楽天家で、 とってもお茶目なのだ。 そんなパルをぼくらはこよなく愛していた。 そんなパルも昨年の12月23日に14年余の生涯を終えた。 パルがいないことに僕らは未だになじめない。 おそらく永遠になじむことはないだろう。 いまもパルの穏やかで温かな気配を感じ続けながら 僕らは眠りにつく。 --- ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆
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