蓼科湖畔・聖光寺の千本桜。写真をクリックして拡大してご覧ください!
カーテンを貫くほどの明るい月光に目が覚めました。
カーテンを開けると
未明の空に
月齢15の丸い月が
煌々と輝いていました。
ああ、
月光浴というのは
こういうことなのだなあと、
あまりにも明るいその光の中で
しばし呆然として
ベッドに座り込んでしまいました。
この世界は本当に美しい。
『禅寺の石組み(石庭)が教えるものは、本当の風景はあなたの前にはない、ということです。それはあなたの心に、本当の風景を見るきっかけを作る。』(フェリックス・ガタリ)
そう、
本当の「世界」はあなたの前にはない。
あなたが「現実」とよぶものは
その意味ではあなたの前にはない。
私の「現実」とあなたの「現実」、
あるいは
私の「世界」とあなたの「世界」は
同じものではない。
それはあたかも、
肩を並べて石庭を眺める
二人の人間の心象風景のように
異なっているに違いない。
ひとの数だけ異なった「現実」がある。
ひとの数だけ異なった「世界」がある。
そして
それはどうにも共有できるものではない。
したがって、
社会は・・・人間関係は、
幸運な「共同幻想」の上に
成立しているのかもしれない。
確かなのは自分の存在だけだ。
「世界」が
私の存在を支えているのではなく、
「私の存在」が
「世界の存在」を可能ならしめているのだ。
私の「世界」は
私の消滅によって消滅する。
したがって、
この世界に対する唯一の手がかりは
自分自身しかない。
私たちはそのことに耐えなければならない。
どうか「孤独」を恐れないで・・・。
---
★トポス(topos):ギリシャ語、意味は「場所」。
ここでは「風景の在処(ありか)」
といった意味で使っています。
---
●ペンション・サンセット公式HP
●蓼科高原日記(公式日誌)
●たてしなクロニクル(メイン・ブログ)
■蓼科高原公式HP
☆たてしなラヂオ☆
最近のコメント