「非・匿名」の羊はそっと眼鏡をかける:日経ビジネスオンライン .
とても長い記事なのでご自身でその前段から読んでいただきたいのだけれど、この記事を読んで《目から鱗が落ちる思い》がした。
そうか、いまや《非・匿名》であることはネット上ではむしろ《外道(げどう)》であるようなのだ。
《公人》あるいは《準・公人》扱いされるひとびとではない一般人が《署名記事》を書くこと、実名でものを言うことは《匿名のオオカミ》たちの顰蹙(ひんしゅく)を買い、忌み嫌われ,激しい憎悪を受けることさえあるのだ。
・・・そんなこと、考えたこともなかった。
それはオオカミたちの荒野をひとりで彷徨う羊、迷い羊(ストレイ・シープ/Stray Sheep)になることに等しい。最初から《俎板の鯉(まないたのこい)》なのだ。
筆者の言うとおり、まるでボブ・ディランの歌みたいだ:
Well, they'll stone ya when you're trying to be so good, They'll stone ya just a-like they said they would. They'll stone ya when you're tryin' to go home. Then they'll stone ya when you're there all alone. But I would not feel so all alone, Everybody must get stoned.
善き者であろうとすると、奴らは石で打つだろう 言った通りに、奴らは石で打つだろう 家に帰ろうとすると、奴らは石で打つだろう ひとりぼっちでいると、奴らは石で打つだろう でも、私はそれほど淋しい気持ちにはならないだろう 誰もが石で打たれるべきだ
(注)ボブ・ディランの「雨の日の女」より
1996年7月以来、僕はもろに《実名》でネットに関わってきた。それが当然の《礼儀》だと思ってきた。そして知らないうちに、知らない人たちに憎悪されるようになっていたのかも知れない。それを感じたのは数年前のこと。
だからいま僕は《たてしなラヂヲ》になっている。
しかしこれは本意ではない。
歪んだ、間違ったことだ、在るべき世界の姿ではない、たぶん。
だれもが「石で打たれるべき」なのだ。
☆たてしなラヂヲ☆
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