この世ではないような草原にて
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般若心経はお経というよりはぼくのテキストです。
《ありがたいお経》というよりは《すごい世界観》だと思っています。
照見五蘊皆空、度一切苦厄なのね、舎利子ちゃん!
・・・だもんねー。すごい、お経って,ラップに似ている。
西洋のコギト(=デカルトの我思う・・・)のはるか以前に、デカルト的転換の世界観を語っている点でもすごいと思います。
それにしても西洋ではデカルト的転換、つまり神(あるいは世界)があるから自分があるのではなく、人間があるから(実存するから)こそ世界があるのだという劇的転換をなぜ《コペルニクス的転換》と同列に語ることがないのだろう?(不勉強なぼくにはわからない)
ゲーテもファウスト博士に「万物はメタファーだ!」と戯曲の最後の方で叫ばせていますけど、同じことを言っているんですよね、般若心経と、たぶん。
ウィトゲンシュタインも徹頭徹尾論理的に思考したあげくにその地点に到達しているように見えます。
死は人生の出来事ではない.ひとは死を体験しない。
永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するならば,現在に生きるものは永遠に生きるのである。
視野の内に視野の限界は現れないように、生もまた、終わりを持たない。
(中略)
時間と空間の内にある生の謎の解決は、時間と空間の《外》にある。
(ここで解かれるべきものは自然科学の問題ではない。)
世界が《どのように》あるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。神は世界の《内》には姿を現しはしない。
神秘なのは世界が《どのように》あるかではなく、世界があるという《そのこと》である。
誤解は《般若心経を理解する》という発想にあります、お坊さんを含めて。そうではなくて、般若心経ではその境地に到達しなければ絶対にわからないことが言葉を尽くして語られているのだということが《理解されていない》ということです、たぶん。
だから、いくら「般若心経入門」なんていう本を読んでも,偉いお坊さんのお話を聞いても「般若心経」の語る世界に近づくことがかなわない。
まず「瞑想」する習慣を持った方が(信仰をお持ちの方は「無心の祈り」でしょうけれど)「般若心経」の世界に近づく早道だと思うのね,ラヂヲ的には。
以上、これはぼくの個人的独断あるいは偏見かも知れないけど、じっさいにそう思っているわけです。
☆たてしなラヂヲ☆
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