花を見るときひとはやがて花と一体になる
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きのう般若心経(はんにゃしんぎょう)のことを書いたらこれがまあ意外な反響で驚いています。やはり日本人にとって(なぜか)心に響くお経なんですね、たぶん。
この般若心経と出合ったあと、サルトルの「存在と無」を読んでわかったことがあります。
それは「無」と「非存在」とはまったく異なるということです。つまり「無」は「存在」を前提としているが、「非存在」はそもそものはじめから「無い」ということ、言葉を変えるなら「無」は「光」に対する「影」にあたり、「非存在」は「闇」ということになるのかな。
あるいは、「無」は「存在する」ということもできるかも知れない。存在が無になる=「無化する」という表現をサルトルは使っていたように思いますが。
われわれが日常「無」という言葉で表現しているのはじつは「存在が無い」あるいは「存在していたものが無くなる」ということなわけです。
サルトルが言っているのは「無」と「非存在」とはまったく異なるということです。「無とはまったく何もない」とういことではないということです。「非存在」は「はじめから存在しない」ということです。
般若心経で言う「空(くう)」は、もちろん、「無」でもなければ「非存在」でもないということがこのことからわかります。
西洋哲学で「空(くう)」に一番近い用語は、たとえばドゥルーズ/ガタリが語るように「カオス」が一番近いように思います。いずれにも共通するのはそれが「存在で充満した無」であるということです。
すべてがあるが、いまだ存在としてのかたちを成していない世界、とでも表現すればいいのでしょうか、これはじっさいに「感じる」ほかないのですが。
ようするに「空(くう)」と「無」とはまったく異なるものであるということはご理解いただけたことと思います。
なんて言えるほどぼくもわかっているわけではなさそうなんですけどね。
☆たてしなラヂヲ☆
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