晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃
熱に浮かされ伏せっていると、枕元に暖かな存在を感じる。正座して僕に優しい視線を落としている。若い女性の気配だ。
「きみなのかい?」と僕は訊く。
「そうよ」と彼女は応える。
「もしかしてきみはもう死んでしまっているのだろうか」
「まさか」と彼女は笑いながら応える「まだ生きているわ」
「ナオミだろ、きみは」
「どうかしら」と言って彼女はくすくす笑う。
「ちゃんと憶えているさ、きみのしぐさや笑い方やそのすべてをいまだって」
「そうよ」と彼女は応える「でもあなたは私がどれほどあなたを愛していたかわからなかったじゃない」
「ごめん、僕は自分の心を偽っていたんだろう、たぶん」僕は声にならない声で応える「きみのような女性が僕を本気で愛すはずがないって思いこんでいたんだ」
そんなことわかっているわ、というような沈黙。
「あなた、自分で死のうと思っているのね」と彼女は言う。
「どうして?」と僕。
「わかるわよそんなこと、私はあなたの強いところも弱いところも知っているんだもの、もちろん善いところも悪いところもね。」
そうだ、と僕は白状した。僕は自分の死亡保険金を借金の返済に充てようとしている。馬鹿な行為かも知れないが、僕にはもうそれ以外の手だてが考えつかないのだ。
「死んでしまうのね」と彼女は声を落とす。
30年以上会っていないなんて信じられないような親密な空気があたりを満たしている。彼女はあの頃のまま何一つ変わっていない。目には見えないけれど僕にはそれが感じられる。
「あなただって、あの頃のままひとつも変わっていないわよ」と彼女は言う。「あなたは私の誇りだった、あなたを愛していることが私のプライドだった。知ってた?」
「知らなかった」と僕は告白する「僕は何できみのような家柄にも才能にも美貌にも恵まれた女性が僕なんかを愛してくれるのかがわからなかった。」
「馬鹿ね」と彼女は小さな声で言う「男の人ってどうしてそんな考え方しかできないのかしら。私はあなたのすべてを愛したの、愛さずにはいられなかったのよ。」
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高山の希薄な空気は時として不思議な世界へと僕らを誘(いざな)う。
晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃
「あたたかいねえ」という言葉が地元でよくかわされている。今日山麓の街のメガマートに行ったときもカウンターの女性とそんな話題になった。「年々温かくなって、それはいいんだけど、やっぱりおかしいよねえ」。
たしかにそうなのだ、これは妙なのだ、おかしなことなのだ。かつてのこの季節なら、石油ストーブや電気ストーブの段ボール箱を抱えて一所懸命クルマに積み込んでいる人が駐車場にたくさん見られたはずなのに、今年はその気配もない。いまだにフリースを着込んでいる人もいないし。
直営の灯油スタンドに並んでいる人もほとんどいないし。やはり温かいというのは実感というのだけでなく、紛れもない「事実」なのだろう。「暖冬」というとなにやら過ごしやすい冬と感じられるのだけれど、じっさいは雪が溶けやすいためにアイスバーンがあちこちに出来てとても危険な道になってしまう。
当地のような土地では暖冬は「鬼門」なのだ。
それはさておき、大きな疑問が頭をもたげてきている。10年間も蓼科高原日記を書き続けてきたことはペンション・サンセットの経営にとってプラスだったのだろうか、マイナスだったのだろうかということだ。ふつうだったらペンションの玄関を入るまでわからないはずのオーナーの人となりとかペンションを支配する雰囲気とかが、日記によってわかるようになっていることが、むしろ集客においてマイナスになっているような気がしてきている。ひしひしとそれを感じている。僕はペンションオーナーとして落第なのだろうか、そんなにひどいひとなのだろうか。
蓼科高原日記があることによってペンション・サンセットはお客様を遠ざけることになっているのではないだろうか。書かれた文章はその瞬間から独立した言葉として伝播していくものだから、どのように解釈されどのように理解されなにを感じさせるかは書いた本人には制御できない。
こうした商売にとって、本音で語るということはタブーであり、耳あたりの良いことだけを書くべきだったのかも知れない。いや、このような日記自体を無くしてしまうべきなのかも知れない。長期的展望に立てばきっとそのほうがよいのだと思う。
商売にとっても「口は災いの元」なのだ。なにも語らない方が想像力を刺激できるしね。僕はおしゃべりしすぎたのだ、たぶん。現代社会においてはむしろ「情報を制限する」ことによって「情報飢餓状態を発生させ」て、結果として衆目を集め「特定の情報」の集中的情報摂取を促すことが出るのだ。
ソフトバンクが今回の広告キャンペーンにおいて「予想外だ」と「¥0」しか語らなかったのは、そのような手法に則っていたからだ。結果は大成功といって良いと思う。このような手法が成功するなんて、なんて幼く貧しい精神が支配している社会なのだろうと個人的には思うのだけれど。一人一人はおそらくとても賢く良識あるびとひとなのに、集団としての社会を形成するとこのていたらくだ。いまなんとかしなければ、このままでは簡単に戦争に駆り立てられてしまう。
晴れのち曇り 気温:最低 4℃/最高 12℃
正直言うと僕はマイクロソフト社の誇るプレゼンテーションのデファクトスタンダードであるところの「Power Point」を仕事で使ったことがありません。僕がビジネスマンやってた頃にはまだ MS DOS 3.1の時代で、一太郎 と Lotus 1-2-3 がようやく標準として普及しだしたころでしたから。オフィスLANや社内LANなんて存在しなかった。
でも、考え方は同じでした。見栄えや演出ではかなうはずもないのですが、プレゼンテーションの基本的作法は「Power Point」以前もそれ以降も変わらなかった。まあ、当然といえばその通りなのですが。で、ペンションを始めて数年後、Mac版の Office がリリースされて以来お遊びでいじることはあっても仕事として使ったことはなかった。
でも今回別のコンセプトでペンション・サンセットのホームページ制作をすることになって、時代の方向としてはそっちにいくのかなと思いました。実際の制作に使っているソフトウエアは別のものなのですが、考え方には共通するものがあります。
思いのこもった写真と、インパクトある簡潔な文章、美しいレイアウトとフラッシュムービーによる演出。言葉を尽くして表現するのも大変だけれど、反対に言葉を削って簡潔に表現することもまたものすごく難しい作業です。写真選びやスライドショーの素材集めや画像加工も地味な消耗戦です。
ひと時代前、ペンション経営者が自らこのような仕事をするようになるなどと、いったい誰が想像したでしょう。ペンションを始めて、エンジン式刈り払い機やチェーンソウや大型除雪機を日常の道具として使うようになるなどと想像していなかったのと同じぐらいの驚きです。
「市場原理主義」を標榜するいまの時代の流れは個人的には「違うな」と思うのですが、この大きな潮流にあらがえるはずもなく、経営者としては適応対応していかなければならないのだと思います。ひとびとの頭脳構造が変えられてしまった、洗脳とまでは言わないけれど、「ゲーム脳」というのは実在すると思うし、思考停止が日常的に起こっているのも事実だと思います。これはきわめて危険な状況です。
思うに米国は紛れもない(本来的意味における)「帝国主義国家」であり、彼らが推し進めている「グローバルスタンダード」とやらは間違いなく世界を不幸にしていると思います。それはノーベル賞受賞経済学者スティグリッツの著書を読むまでもなく、米国は自国の「不幸な社会」と「ゆがんだ経済システム」を世界に押しつけ押し広げようとしています。
米国民がみな幸福そうならまだ納得も行くのですが、ネオコンと称されるひとにぎりの特権階級こと「勝ち組」以外の人々はどんどん不幸になっていっている。僕は自分の世代においては異例の反・学生運動的考えを持っているのだけれど、それは政治的立場とは関係なくどんなイデオロギーもインチキだという実感に基づいています。
それでもなお「グローバリゼーション」というこのインチキなお題目あるいはムーブメントに抗うことは十分以上に価値のあることだと思います。誰も「ノー」と言わないこの社会は健全なのでしょうか。偉大なるイエスマンこそ現代の寵児(ちょうじ)なのでしょうか。
雨のち曇り 気温:最低 5℃/最高 9℃
やはりそのようですね、小泉政権があんなにうけたのはその「わかりやすさ」ゆえだったのです。しかしそのわかりやすさの質はじつに危険をはらんだものでした。
「わかりやすさ」にはふたとおりあります:
(1)伝えるべきことを凝縮し吟味し尽くしたことによる「わかりやすさ」
(2)言葉に多義性を持たせ相手が勝手に納得するようにし向けた「わかりやすさ」
もちろん、本来の「わかりやすさ」とは(1)をさします。
小泉さんのは(2)の典型でしたね。
「広告は議論ではなく誘惑なのだ」というのは真理で、その観点からすればホームページの「わかりやすさ」とは(2)に当たるのではないかと思います。
試しに《別途》そういうホームページを作ってみようと思っています。
上記(2)のパターンまではいかないまでも、「簡潔」なホームページというのは文章を読むことが嫌いな人には親切ではないかとも思います。「簡潔な文章」ではなく、「写真と見出しと簡潔な説明文だけ」のホームページを構想しています。
★★★
昨夜からの雨は夜通し降り続け、未明には強風をともなった荒天となり、激しい雷雨にまでなりました。天から神が振り下ろしたような巨大な雷(いかづち)に眼が醒めました。ばあーん、がしゃーんと轟音がして、半径50m〜100m以内に落雷が連続したのでした。
おそらくロープウエイ近くの電柱に落ちたのだろうと思いました。最近は落雷対策として電柱には驚くほど太いアース線がてっぺんから地中深くまで埋め込まれているからです。落雷による障害を避けるために電柱そのものを避雷針にしてしまうという発想で、かなりうまく機能しているようです。
そのおかげか、起き出して電源をチェックしてみましたが停電の形跡はありません。また電話回線やインターネット回線も異常なく機能していました。
強風は午前中いっぱい吹き続けて、午後にはおさまりましたが、ペンション・サンセットの周囲の紅葉はあらかた吹き飛ばされて落葉しました。紅葉のじゅうたんを踏みしめる感触は最高で、地面を埋め尽くした紅葉はとても美しいものです。しかし驚くべきことに、標高が50m〜100m低いところではちょうど紅葉の盛りなのでした。
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