晴れ 気温:最低 - 5℃/最高 8℃
本音とか正直とか公正とか、そんな言葉も概念もおとぎ話の中にしか出てこないのだ。世界は嘘と欺瞞と不公正に満ち、不公平がその実体に違いない。愛という名のメタファーに救いを求めるほか無い。しかし、メタファーはあくまでもメタファーでしかない。愛は人間存在によってのみ存在させることができる。愛はそのままでは生き続けられない。
世の中が公平であるとか、神が正義であるとかいうのと同様にそんなものはわれわれの妄想でしかない。信じる努力なしに愛は永遠ではないし、闘う勇気無しには正義は存在すら危うい。戦争や闘争は人間の原初的性向であり、平和や融和はその合間に訪れるに僥倖(ぎょうこう)に過ぎない。
だからこそわれわれは演技するのだ。この世界は本来的に平和であるかのように、人間は平和をなによりも愛する生き物であるかのように、人間とその社会は必然的に正義と公平を志向するものなのだと。社会正義は必ずなされるものなのだと。愛さえあれば平和は必ず訪れるものなのだと。
別に悲観的にものを見ているわけではない。ことさら斜に構えて世界を見ようとしているのでもない。僕はただ可能な限り公平に見極めたいだけなのだ。僕なりのささやかな勇気を持って。
先日僕は、この日記を書くことが僕の生業でもあるペンションからお客様を遠ざける結果になっているのではないかという疑念を持っていることを告白した。本当にそう考えているのだ。現代社会においてひとは耳に心地よいものを志向する、自我に心地よいものにのみ心が傾く。
時代はまさに誘惑の時代を迎えている。社会はいまや、少なくとも、市場は「女性原理」に従って動き始めている。それは倫理を越えた原理である。それは「心地よさ」こそが市場原理であるような世界だ。
嵐 気温:最低 - 5℃/最高 4℃
今日はまるで嵐のようだった。雨は無く、風だけだが、これを嵐と呼ぶのが正しいのだ。気温は上がるどころか時とともにどんどん下がり、午後遅くには氷点下5℃の強風が吹き荒れた。かつて獅子座流星群がやってきたときもこんな強風が氷点下7℃の夜を吹き荒れたことを思い出す。
クルマのボディーにびっしりと降り積もっていた落葉松の針葉はまるで巨大なブロアーで吹き飛ばしたかのようにきれいさっぱりと消えていた。気温が氷点下であることを知ったのは、フロントウインドウの落葉松の葉を払おうとしたときだ。なんとガラスに凍り付いていたのだ。
気がつけばなにもかもが凍てついていた。ウインドブレイクスーツ1枚羽織っただけで外に出た僕は、じっさいのところ凍死しそうになった。強風のために体感気温は氷点下20℃以下になっていたからだ。こんな状況で北八ヶ岳の稜線にいたらたちまち凍死してしまうだろう。
はやいところクルマのタイヤをスタッドレスに交換した方が良さそうだ。これ以上寒くなると作業自体がつらくなるから。積雪の心配はまだ無いと思うが、ここで暮らす以上いつ積雪や路面凍結があっても言いように準備しておかなくてはならない。
深夜、空は晴れ渡りまぶしいほどの月明かりが青白く景色を染めている。ピラタススキー場の方角からは人工降雪機のブーンといううなり声がかすかに聞こえてくる。冬がもうすぐそこまでやってきていることを知る。
晴れのち曇り 気温:最低 0℃/最高 9℃
10年間にわたる日記を消去してなにもなかったことにしてしまうことは簡単だ。そうするべきなのかもしれない。時代は変わったのだ。そして、僕も変わった、変わらざるを得なかった。米国が蔓延させた「市場原理主義」を核とする「グローバリズム」という名のウイルスは世界を一変させてしまった。
米国は民衆を不幸にした自らの失政を世界に蔓延させることによってチャラにしようとしているかのようだ。「そうだよ、これがふつうなのだ」と。金持ちはチャンスをものにし、ひとの何倍も努力したから金持ちなのだ。君たちにだってチャンスはあったのだよ、怠惰な貧乏人諸君。そういう論理でしょ。
それは違う。金持ちは、権力層はずうっと金持ちだったし、その既存権益を守り通してきた。成り上がったものはほんの一握りに過ぎない。これはお寒いレトリックでしかない。「地主と貧民」という有名なトランプゲームをやってみるがいい、すべてがそこに集約されている。
「グローバリズム」とは少数の特権階級が支配するゆがんだ社会を正当化するためのプロパガンダに過ぎない。新たな「貴族と奴隷」という図式の社会を構築するためのロードマップに過ぎない。既成の事実として語られることはあっても「グローバリズムのもたらした幸福」について誰か語ったことがあったろうか。ゆがめられたプロパガンダとしてではなく、真実としてもたらされた幸福について。
僕は寡聞にして知らない。
晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃
熱に浮かされ伏せっていると、枕元に暖かな存在を感じる。正座して僕に優しい視線を落としている。若い女性の気配だ。
「きみなのかい?」と僕は訊く。
「そうよ」と彼女は応える。
「もしかしてきみはもう死んでしまっているのだろうか」
「まさか」と彼女は笑いながら応える「まだ生きているわ」
「ナオミだろ、きみは」
「どうかしら」と言って彼女はくすくす笑う。
「ちゃんと憶えているさ、きみのしぐさや笑い方やそのすべてをいまだって」
「そうよ」と彼女は応える「でもあなたは私がどれほどあなたを愛していたかわからなかったじゃない」
「ごめん、僕は自分の心を偽っていたんだろう、たぶん」僕は声にならない声で応える「きみのような女性が僕を本気で愛すはずがないって思いこんでいたんだ」
そんなことわかっているわ、というような沈黙。
「あなた、自分で死のうと思っているのね」と彼女は言う。
「どうして?」と僕。
「わかるわよそんなこと、私はあなたの強いところも弱いところも知っているんだもの、もちろん善いところも悪いところもね。」
そうだ、と僕は白状した。僕は自分の死亡保険金を借金の返済に充てようとしている。馬鹿な行為かも知れないが、僕にはもうそれ以外の手だてが考えつかないのだ。
「死んでしまうのね」と彼女は声を落とす。
30年以上会っていないなんて信じられないような親密な空気があたりを満たしている。彼女はあの頃のまま何一つ変わっていない。目には見えないけれど僕にはそれが感じられる。
「あなただって、あの頃のままひとつも変わっていないわよ」と彼女は言う。「あなたは私の誇りだった、あなたを愛していることが私のプライドだった。知ってた?」
「知らなかった」と僕は告白する「僕は何できみのような家柄にも才能にも美貌にも恵まれた女性が僕なんかを愛してくれるのかがわからなかった。」
「馬鹿ね」と彼女は小さな声で言う「男の人ってどうしてそんな考え方しかできないのかしら。私はあなたのすべてを愛したの、愛さずにはいられなかったのよ。」
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高山の希薄な空気は時として不思議な世界へと僕らを誘(いざな)う。
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