曇りのち晴れ 気温:最低 14℃/最高 17℃
夕暮れ後に買い物から戻ってきたが、最近はヘッドライトに加えてフォグランプを点灯するようになった。フォグランプは低く広い照射角を持っているので路肩がよく見えるからだ。というのも山岳部の道路ではいまが最もよく野生の鹿が出没する時間帯だからだ。
はっと気づくと路肩に大きな牡鹿がぬぅーっと佇んでいたりして、これまでも何度も驚かされた。ぶつかったらこちらもただではすまない。リスやタヌキのようにクルマの直前を突然横切ったりはしないが、これはこれでとても危険なことなのだ。
ということで、最近のピラタスの丘では多くのお客様が時間帯を問わず野生の鹿と遭遇する機会が増えている。野生動物との出会いは理屈抜きで感動的だ。が、決して餌を与えてはいけない。その行為そのものが彼らを滅ぼすことになるからだ。
食生活を変化させ、生活圏が変わり、自然の中で生きていく力が失われていく。それでなくても食害被害は甚大で、いまでもすでに鹿は害獣駆除の対象となっているのだ。餌を与えることは直接的に彼らを追いつめることになるということを是非理解して欲しい。
それはさておき、この夏のたくさんのお客様でにぎわった蓼科もいまはすっかり落ち着きを取り戻し、静寂に満ちた晩夏を迎えている。手付かずの自然の中で、じっくりと静寂と対話するのもまたおつなものだ。それは自分自身との対話でもあるだろう。
蓼科のこの季節はなぜかとてもセンチメンタルな風情で、僕はとても好き。ペンション・サンセットを開業することなんてまったく考えていなかった頃から(想像すらできなかった頃から)、好んでこの季節に蓼科を訪れていたのを思い出す。
ピラタスの丘ももはや気温が20℃を越えることはまれになり、最低気温もどんどん下がってきている。9月にはいれば朝10℃を切る日も多くなりそうだ。空は澄み渡り、美しい形の雲が油彩のような絵を描いて見せてくれる季節になる。
大気が限りなく透明になって、くっきりとした輪郭の風景がその鮮明さゆえにむしろ非現実的に見えてくる季節でもある。晴天率も夏より格段に高まり、展望が開ける。当然夜空は満天の星に彩られ、りんとした大気のもと「星を見るひと(stargazer)」の季節到来だ。
限りない静寂の中でうまい空気をたらふく吸って、ただぼーっと物思いにふけるには9月の蓼科が最適だと僕は思っている。いずれにしても9月の蓼科では空を眺めるのが吉。何しろ僕自身がそういうひとで、毎年そのように過ごしているのだから間違いない。信用していいと思うよ。
晴れ 気温:最低 11℃/最高 20℃
昨日よりさらに冷え込んだ朝になった。最低気温11℃、たった1℃しか違わなくてもずいぶん印象が違ったものになる。まごうかたなき秋の朝だ。空の色は秋の青、白い雲の秋の雲。吹く風にはすでに秋の香りが含まれている。
気の早いナナカマドはすでに紅葉して結実し、すでにそれを落とし終わっている。たらの木もタンニン色にその葉を変化させ、今日走った奥蓼科ではもっと多くの樹木が枝の先端を黄色く赤くと変化させ始めていた。
奥蓼科のメルヘン街道(国道299号線)を走り、ビーナスラインにはいり、ピラタスロープウエイを見上げると、何やら旅人の気分。自分が東京からやってきていまこのリゾートに到着したような新鮮な感動を覚えた。蓼科はやはり僕にとっての永遠のリゾートなのかも知れない。
「はくちょう座流星群」だろうか、星がよく流れる。標高1750mでは流星はほぼ地表と平行に流れるので、燃え尽きて流れる瞬間の光芒(こうぼう)が稲光のように鮮明に見える。それはまるで水面をよぎる魚影のようでもある。
用事を済ませて帰る途中見かけた、ピラタスの丘のメインストリートの脇でうずくまっていたタヌキはどうしているだろう。けがでもしていたのだろうか。
今日もシベリアンハスキーのパルと深夜の散歩を楽しんだ(というか、この時間にならないと彼にとって快適なほど充分気温が低くならない=15℃以下)。夜だいぶ冷え込むようになってきたのでずいぶん元気を取り戻したようで、かなりの急坂でもずんずん進んでいく。
人間でいえばもう60代を軽く超えているはずなのだが、ものすごく元気だ。何だか僕の前では無理をして往年の自分の元気さを見せてくれているような気がする。そんな無理をしなくてもいいのに。これが彼なりの愛情表現かと思うと胸がジーンとなる。
曇り 気温:最低 12℃/最高 19℃
今朝の最低気温は12℃、曇り空。たまにのぞく青空がものすごくきれいだ。雲はもうすっかり秋の雲に変わっている。風もまた秋風に違いない。陽射しが柔らかい。音がまろやかに響く。大気がしっとりと優しい。
静かだ、とても静かだ。まるで自分の耳が遠くなってしまったような錯覚に陥る。秋の虫の音が聞こえる。妻が雨音と間違えていたが、これはピラタスの丘に生息する秋の虫の音に違いない。日中、シベリアンハスキーのパル(愛犬)はぐっすりと眠っている。彼にとっての試練の季節は終わった。
生まれたときからこの静かな山岳地で暮らしてきたパルは、大勢のひとと出会うお盆休みがめっぽう苦手で疲れ果ててしまうのだ。お客様が少なくなったこの時節、彼は安心してゆっくりと惰眠をむさぼることが可能になったのだ。「ペンション犬」も楽じゃないのね。
残暑のまったく無い蓼科はとてもとてもいい季節になった。
それはそうと、お盆休み直前に8ポート・スイッチングハブ Corega SW08GTV2 を導入した。これはギガビット・イーサネットワークに対応したもので、これまで使っていたバッファローのいちばん安い5ポート・ハブ LSW-TX-5EP とは見るからにパーツのグレードが違う。じっさい、体感速度も少し上がった。
かつてのハイエンドオーディオマニアとしての経験から、電気・電子機器はまじめにつくられたものならばおのずと価格相応のパーツの差があり、価格相応の品質および品質感の差が出るものだ。性能はまた別の要素がからんでくるから一概にそうとは言えない部分はあるけれど。
いずれにしてもこれで3つのグローバルIPアドレスを接続機器の速度に合わせて最大限に利用できるようになった。
8月31日に工事を行ったあと、現在の2MB〜4MBの実測値の回線速度がおよそ20MB以上になる。まあ、すぐに慣れてしまって感激もそこそこだろうけれど、速度が速いことはさまざまな側面で、僕の場合、メリットがあるので早速そちらのサービスにグレードアップを申し込んだしだい。
当然ながらペンション・サンセットの無線LANもこれまでの最大4MB〜6MB程度の実測値から20MB以上( 802.11g 規格機器を使ったの場合)へとアップする。館内に2つあるアクセスポイントは互換性を重視して 802.11b および 802.11g 互換モードになっている。
客室でも、ダイニングラウンジでもどこでも快適に無線LAN接続でインターネットをご利用いただける。ただし、パソコンや無線LANカードの貸し出しは無いので、ご自身で持参していただく必要がある。
いつでもお申し出いただければ、その場でパスワードを発行しますので、是非ご利用いただければさいわいです。
曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 17℃
朝は曇り、それでも上を見上げれば雲間から青空がのぞいている。標高1900mから上が薄い雲に覆われている。西からどんどん雲がやって来ては北八ケ岳を駆け登って通り過ぎてゆく。ここ数日の天気はころころ変化してどうもとらえどころがない。
今朝の最低気温はいつもと変わらなかったが、大気の冷たさは格別で同じ気温とは思えないほどで、まさに秋の朝のそれだった。朝晩は完璧な秋だ。そして日中は晩夏の趣を増してきている。日差しが和らぎ、それでなくても低い湿度がさらに低くなり、そのために体感気温は実際の気温よりはるかに低く感じられる。
僕が個人的にいちばん好きな季節がやって来た。お盆休み明けから9月中旬いっぱい続くこの気候、この雰囲気が大好きだ。文字通り「避暑地の夏の終わり」の風情はとてもセンチメンタルで、つい物思いにふけってしまう。それがまた心地よく心身をいやしてくれるのがこの時節の最大の特徴かも知れない。
この夏は高山植物を始めとして、風景や空の写真をほとんど撮影できなかった。撮影しなかった、のではなくて、できなかったのだ。そのためのわずかな時間すら確保できなかった。よくもまあ乗り切れたものだと、ほっとしている。夫婦二人だけで夏休みの繁忙期、特に「怒濤のお盆休み」にペンションを切り盛りするのはじつに至難の業だとあらためて確認できた。
同時に、しかしそれは不可能では無いということも確認できた。きめ細かな業務改善によって、むしろサービスの質を高めながら、合理的な業務遂行が可能であることが見えてきた。その意味では大変有意義な夏だったといえる。早速その成果を形にすべく、サービス内容の見直しを実行している。
料理も天然酵母パンもますます好評である。豊かな自然の中でゆったりとしたときを過ごすという考え方に賛同していらして下さるお客様も劇的に増加した。そして、リピーターの方も劇的に増えている。どのようなお客様にとって快適である宿であるかということをより鮮明にアピールしていくつもりだ。その方がお客様にとっても宿の選択がしやすくなるからだ。
宿としてどのようなお客様も排除するものでは無いけれど、実際いらしていただいたときにそこにミスマッチがあってはならないと考える。ペンション・サンセットがお客様が望む通りの宿であるのか否かを可能な限り正確にお伝えしなければならないと考えている。また、どのような要望を持ったお客様にとっては適切では無いコンセプトの宿であるかということも伝えていかなければならないとも思っている。
はっきり言えることはペンション・サンセットは「お子様ペンション」とか「ファミリーペンション」というコンセプトの宿では無いということだ。あくまでも「大人の個人客」のための宿なのだ。それも大自然の中で静かに休日を過ごしたいと望むお客様のために特化した宿である。
もちろんファミリーもよろこんでお迎えしているが、あくまでも「大人」が主役であるということを強調する必要がある。大人になったときに困らないようにように、いま周囲のひとに迷惑をかけないように、日本の現代の子供には特に「公共の場(パブリック・スペース)」でのマナーを教育することこそが必須だと考える。
しかし、子供には子供の時間の流れがあり、それぞれの年齢に応じた子供の行動様式があって、それは極めて自然であたりまえのことなのだ。しかし「子供なんだから何をやってもいい」という考え方は間違っている。決然と辛抱強く公共の場での振る舞いかたを教えることが必要だが、突然「力づく」で押さえつけるのは無理があるし、不自然で子供にとってもかわいそうなことだと思っている。
だから、自然にペンション・サンセットの雰囲気になじめるような年ごろになってからお連れいただくのがベストかも知れない。そのような考え方から、基本的には3歳未満のお子様の受け入れは「応談」ということにさせていただいた。ご宿泊日のほかのお客様の構成などの状況によって受け入れ可能か否かをご相談させていただくわけだ。ご理解賜ればさいわいである。
特にリピーターのお客様で小さなお子様のいらっしゃるご家庭は是非ご相談いただきたい。お引き受けできる日はかなり多いと思うので。そしてそのような日は、ほかのお客様に必要以上に気を使うことなく、くつろいでいただけることと思う。
ペンション・サンセットにカップルの頃からいらしていて、その後結婚してお子さんが生まれてというお客様も多い。だからこそ小さなお子さんがいらしても、しっかりとフォローしますからご心配なく。
曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 19℃
今日も夕立があったが、雷鳴は聞かれなかった。雨の降り方も夕立らしからぬおとなしいものだった。やはり夏は(少なくともそのピークは)過ぎ去ってしまったのだ。一時小やみになったものの、雨は再び降り始めた。
深夜、ピラタスの丘はすっかり雨雲の中にはいっている。濃密な霧のような水蒸気があたり一面に立ちこめている。いや正確に言うなら、霧のように雲の粒子が漂っていると言ったほうがいい。雨もいまは霧雨といったほうがいいかもしれない。
LEDのハンドライトの光も5m程しか届かずに真っ白な空間に拡散してしまう。そんななか、シベリアンハスキーのパル(愛犬)と散歩に行ってきた。彼は全天候型の犬だから土砂降りだろうが猛吹雪だろうが関係ないのだ。突き合わされる人間の方が大変だが、それだけに新たな発見も多い。
彼がいなかったらこんな天気の深夜に外を出歩くなんてあり得ないものね。都会から来たひとなら、この真っ白な霧に閉ざされた闇の世界におののくかも知れない。闇の中に息づくさまざまな気配に、もののけを感じて背筋が寒くなって逃げ帰ってくるかも知れない。僕らはすっかりなじんでしまっているから平気だけれど。
闇のそこここから秋の虫の音が聞こえてくる。ルルルルルルルル、ツイーッツイーッ、ジィイイイ、コロコロコロコロ、とさまざまな虫の音が微かに静寂の中の耳鳴りのように聞こえてくる。霧は地上から沸き立ち、雲は上空から吹き下ろしてくるのだ。だからこれは「雲」だと僕らにはわかる。濃密な雲の中を歩く気分はまた格別だ。こればかりは体験したものにしかわからない。
こんなときいちばん心を乱す音はなんの音だか知っているだろうか。そうだ、人間の立てる音だ、話し声とか、笑い声とか、騒ぐ声とか、いや人間の気配そのものがこの静謐に満ちた闇をかき乱す最大の要因なのだ。自然と同調できていない人間はそのような場違いな音を立てるものだから、それはそれでしょうがないのだけれど。
パルと二人で歩くことができるのはあとなん百日だろう。あと何年彼とともに暮らすことができるだろう。どうして犬は人間に比べてこんなにも短命に定められているのだろう。それを思うと胸が締めつけられる思いだ。
《人生とは好きになった場所で、好きなひとやものや犬とともに暮らすことだ。》
ある作家がそんなことを言っていたのを思い出す。そうなんだ、そのとおりなんだ。そのとおりだと思ったから、そうだと確信したから僕はこの地に移り住んだのだ。そんなささやかな望みすらかなえるのが難しい時代になった。いや昔からそれは変わりなくその通りだったのかも知れない。
僕のように《世捨て人》にならなければそれは実現できないのかも知れない。地位も名誉もささやかな自尊心も捨てて、ひとりの人間として、個人として、なんの肩書きも無いただのひととして僕はこの地へとやってきたのだった。
僕は信じられないほど軽やかになった。限りなく自由になった。こここそが自分の居場所だと確信できた。それはいまも変わりない。そして高給取りのビジネスマン時代に比べたらとても貧乏になり、もしかしたら妻や子供を不幸にしたかもしれない。そのことを考えるとやり切れなくなる。彼らはどう思っているのだろうか、訊いたとしても本当の気持ちを語ることは無いだろうしね。
もし彼らがこのことで不自由を感じていたならば僕の死によって彼らは解放されることになる。僕はあまり長生きすべきでは無いのかも知れない。
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