我が家の愛犬パル(シベリアンハスキー、♂)は昨年の12月23日に僕らに介護されながら亡くなってしまいました。14歳と2ヶ月と10日の生涯でした。2月10日がちょうど人間で言うところの四十九日でした。 そのことに気づいたのはその翌日パルの犬舎のまえの分厚い積雪の上に数メートルにわたってあの懐かしいパルの足跡が残されていたからです。 空からふわっと降りてきて、数メートル助走して再び天に舞い上がったかのように、その前後には足跡は全くありませんでした。 じつに不思議なことですが、僕らは不思議とも何とも感じなかったのです。 「ああ、パルが天国に行ったんだね・・・・・・ああ、そうだ、ちょうど四十九日だったんだ」って そう思ってなんだかほっとするやら、改めて涙があふれて来るやら・・・・・・ 数年前の記事を読んでいたら、パルとの思い出が書いてあったので、採録します。 ★★★ 除雪が終わると中庭にいるシベリアンハスキーのパルのところに遊びに行くことにしています。「戦いごっこ(格闘ごっこ)」を(雪上をころげまわりまがら)ひとしきりやって彼が満足すると、僕は彼の傍らの雪上に座り込んで彼と同じ視点で一緒に空を見上げます。こうして並んで座るとパルはやはりずいぶんと大きな犬なのだなあと実感します。座り込んだ僕と大して違わない大きさです。 最近パルは月や星や高空を行く飛行機の明かりを眺めることを覚えました。僕も彼につきあって一緒に眺めます。今夜みたいに雪の日は、舞い降りる雪を一緒に見上げます。子犬のころからの長いつきあいですが、最近とみにこころが通じ合うようになったような気がします。何もせずにこうしているだけでお互いの信頼感がひしひしと伝わってきます。 それは飼い主と飼い犬というような関係では決してなく、同志というか家族というか、ともにこの地で生きるもの同士の連帯のようにも感じられます。別に雪の上でなくてもいいのかもしれませんが、こうして大地の上にじかに座ると世界がまったく違って見えるから不思議です。都市の路上にぺったりと座り込んでいる若者たちも僕やパルと同じように日常とはまったく異なった世界を見ているのかもしれませんね。 そんな彼らにまゆをひそめてばかりいないで、どうぞご自身も一度大地にじかに座り込んで見慣れた自然や街の風景を眺めてみたらどうでしょう。一元的と思われるこの世界がじつは視点をちょっと変えるだけで様々に姿を現す多元的な世界であることに気づく良いきっかけになるかもしれません。 --- ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆
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