雨 気温:最低 6℃/最高 12℃
秋の深まりは日々の気温の低下によって知らされる。見た目にはまだ紅葉は始まっていないように見えるが、よく観ればその兆候は森のそこここに見て取ることができるだろう。標高2000mを越える麦草峠付近ではナナカマドなどが真っ赤に紅葉している。おそらく今週末が見頃になるのだろう。
標高1700〜1800mに位置するピラタスの丘ペンション村ではその次の週(10/14頃)が真っ盛りになりそうだ。蓼科湖(標高1240m)付近は400本のソメイヨシノが真っ赤に紅葉する11月上旬が見頃になる。
秋の深まりは音の伝わり方響き方でも知ることができる。そして朝夕の静けさもまた秋の訪れの証拠だ。それぞれの季節、ここは静寂の支配する土地だけれど、その静寂の味わいはそれぞれに異なるのだ。雪降る夜の静寂、雨降る春の日の静けさ、夏の夜のしんとした気配、秋の日のおだやかな時の流れ。
昨夜は満天の星を望んだが、今日は終日雨が降り続いている。外に出るとまとわりつくような闇が満ちている。それはあらゆる光を吸い尽くし、まるで煙のように身にまとわりつきそして流れて去ってゆく。こんな夜の犬との散歩は、闇をかき分けて進むような錯覚に陥る。
篠突く雨が樹木の葉を打つ音はすでに秋の音に変わっている。その雨滴はいったん樹上に蓄えられ、少しずつ地表へと降り注ぐ。空からの雨と、樹上からの雨と、2種類の雨が同時に降り注ぐ。闇夜の雨などというとまるで「雨月物語」のようで、不気味に聞こえるかも知れない。
しかしじっさいは、闇も雨もそのような不気味さとはまったく無縁なのだった。雨は雨であり闇は闇としてそこにある、ただそれだけだ。夜の森にはじつに様々な気配が満ちているのだけれど、それにも慣れて僕らは安心してしかし慎重に闇夜を歩くことができるようになった。
この雨は明日の午後まで続きその後晴れてくるとの気象概況だ。
晴れ 気温:最低 6℃/最高 15℃
久しぶりに朝寝坊した。この時節のピラタスの森は本当に静かで、耳ざといシベリアンハスキーのパルでさえ、つい寝過ごしてしまうほどなのだ。寝室に面した庭にいる彼が寝坊すると、外からは何の物音も聞こえず、しんとした夜明けのような気配だけがあたりを支配する。庭の樹木に遮られて窓に直接陽射しが入ることがないので、カーテンを開けてみないことには今が何時なのかもわからない。
風の音、葉擦れの音、野生動物の発するかすかな気配、ボイラーが止まったときにすることんと言う配管の音。眠りを妨げる音はなにもない。穏やかなゆったりした時間が流れてゆく。ピラタスの丘の時間はそのようにゆっくり流れるのだ。
お客様のいらっしゃらない日のペンションは港で休む帆船のようだ。帆を下ろし、埠頭にもやって、しずかに息を潜めている。船体を打つちゃぷちゃぷという小波の音だけが、いまも時間が進行しているのだと告げる。ひゅーひゅーという風の音だけが、来るべき航海を予感させる。大きな帆いっぱいに風を受けて力強く外洋を進んでゆく巨体を思う。
小さな野鳥が犬舎の前で抜け落ちたパルの夏毛を収集している。この時期にいったいなにに使うのだろう。コガラは一年中ここに生息しているから、越冬に備えていまからこの暖かな毛を集めているのかも知れない。その向こうの木の下で、パルはぐっすりと眠っている。小鳥にはまったく関心がないようだ。
深い夢から覚めて僕はそのような平和な情景を観ている。深海からゆっくりゆっくりと浮上するように僕は目覚める。海面から差すほのかな光を全身で感じ、やがてそれは現実の光として視覚で捉えられ、はるか頭上で海面の揺らめく光の反射を観る。と、突然僕はここにいる。
夜床につくと、この反対のプロセスが反復される。そのように入眠し、そのように覚醒する。それがピラタスの丘の「アフターダーク」の習わしだ。夜行性動物はいるが、夜行性人間は存在しない。また、そのような人間が息づける街の明かりも、また存在しない。
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