雨 気温:最低 11℃/最高 15℃
秋の長雨のようだ。天気概況は当分雨の日が続くと告げている。でも台風が来ていないだけましかも知れない。ピラタスの丘は朝から霧がかかったような幽玄な風景になっている。雨は、そう、そんなに本格的には降っていない。ほとんど降っているのかどうかわからない程度の状況が続き、たまにはっきりとした降りになる。
今日は終日気温が低めだったけれど、寒さは感じない。身体が季節に順応してきたのと、森がいまだに湿潤で枯れていないせいだと思う。じめじめしているわけではないが、例年より湿度は高めだと思う。そのために、僕らにはこの夏はいつもより「暑く」感じられたのだが、お客様にとってはとんでもなく涼しいと感じられたという感覚のギャップがあった。例年並みの湿度ならば、ピラタスの丘の夏はもっとずっと涼しいのだ。
森の様子もいつもの9月とはいささか異なるようだ。いまだに黄葉、あるいは紅葉する樹木が散見される程度にとどまっているのだ。いつもだったら白樺の葉はすでに紅葉してはらはらと落ち始めているはずなのだ。タラノキやナナカマドやヤマブドウはそれぞれに紅葉しているはずなのだ。
地球規模で温暖化が進み、日本は亜熱帯性気候から熱帯性気候へと変化しているのではないか。様々な報道の告げるとおり、それは特異な気候としてではなく、日常的な気候として定着しつつあるように感じる。このように自然のまっただ中に身を置いているからこそ、そのことがはっきりとわかるのだ。
★★★
さて、先日(9/6)この日記で:
《しかし蔓延する匿名性によって現代社会が犯罪の温床になってゆくのを苦々しく思っているのは僕だけでは無いと思う。匿名性とは自分が自分であることに責任を持たないということだ。自分が行うこと行ったことに対して責任をとらずに頬被り(ほおかむり)して隠れることだ。
それは「プライバシーの保護」という概念とはまったく異なる行為だ。そのことがわかっていないひとが多すぎると感じている。》
ということを書いたが、今日ウェブで以下のようなことを学んだ。
《壊れ窓の理論というものがある。(中略)元々、この壊れ窓の理論は、「匿名状態では、人はより自己規制が働かず、無責任な行動をとる傾向がある」という心理学者フィリップ・ジンバルドの理論をベースにしているそうだ。そう言われてみれば、公衆便所に落書きをする人も、匿名性の保たれない自分の会社のトイレではあまり落書きはしない。もっとも壊れ窓の理論では、匿名性に加えて「窓がたくさん割れている」という事実が、さらに自己規制をなくしてしまうということを提唱している。》
出典はこちらの記事だが、記事の方の議論は僕の議論とはベクトルが異なっている。僕の興味を引いたのはこの理論における《匿名》状態における人間の行動傾向だ。誰でも「なるほど」と思うだろう。もし現在のネット界が治外法権的に「荒れて」いるとするならば、それはやはりネット特有の匿名性に対する寛容さにあるのかも知れないと僕は考えている。
本来的に「契約行為」である宿泊予約において「フリーメールアドレス(ヤフーやホットメールなどの無料メルアド)」を使うことも、個人情報保護の目的はわかるが、こちら側からみれば「準・匿名行為」に当たるということに気づいてほしい。
まともなネットショップではフリーメールアドでは買い物できないご時世に、ペンションはなめられている(あるいは下にみられている)と感じている。が、それは違うのね。これはお客様の不見識というよりは、ペンション経営者兼ウェブマスターたち(僕も含まれる)の不見識であり怠慢だと、やっぱり、僕は考える。
ペンション・サンセットでは従来からフリーメルアドの使用を避けるよう推奨してきたが、昨今むしろ増加傾向にあることを鑑みて、今後はフリーメルアドのお客様のご予約は一切受け付けないことに方向性を定めて暫時対応を変えていくつもりだ。フリーメールアドレスは匿名性を本質としたものだからだ。
そもそもフリーメルアドがどうして無料であのようなサービスを成立させているのかその仕組みを考えたことがあれば、あんなものを使う気にはならないはずだ。メルアドを取得するにはあなたの個人情報を(場合によっては洗いざらい)登録しなければならなかったのではありませんか?
僕の経験では登録したとたんにスパムメールがそのフリーメルアド発でやってきて驚いたものだ。「やられた!これはいっぱい食わされた」と思ったものだ。極論するならば、なにがしかの個人情報提供と引換にあなたはフリーメルアドを利用することができるのだ。そして一度登録した個人情報はフリーメルアドを解約したあともどこかに流れるか消えないで残るのだ。
きちんと個人情報を保護したいのならば、契約しているプロバイダーのメールアドレスをもう一つ用意して、個人的用途と、ショッピングなどの用途に分けて使うことだ。そして後者に関してはスパムメールが送りつけられてもやむを得ないと割り切ることだ。それならば、「匿名行為」あるいは「準・匿名行為」を行わなくても済むというものだ。僕はそのようにしている。
このようなことを書くと「また小うるさいことを言っている」と感じるかも知れないが、そのようなメンタリティーじたいが個人情報を売り買いするような社会を作り出していることに気づいてほしい。スパムメール(迷惑メール)の発信者が匿名、源氏名あるいは「なりすまし」であること、そしてその発信メールアドもまた匿名、「でっちあげ」あるいは「なりすまし」であることをみれば、自分が「匿名性を本質としたフリーメルアド」を使うという同様のことをしているのに文句を言える人がどれほどいるだろうか。
「匿名状態では、人はより自己規制が働かず、無責任な行動をとる傾向がある」のだ。みながそのような状態になって、より安全な社会、よりよい社会が構築できるだろうか。悪意を持って(これはもってのほかだ)、安易に、あるいは無定見に、あるいはイノセントに(そのようなひとが一番多い)「匿名行為」あるいは「準・匿名行為」を行うひとが減少するよう願うばかりだ。
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