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宗教の本質は「神」にではなくその「排他性」にある。この「排他性」無くして宗教は成立しないのだ。あらゆる戦争や武力闘争はこの排他性が原因であると言っても過言ではないだろう。宗教としての「神」が登場するのは排他性の根拠としてであり、戦争や武力闘争の理由付けとその遂行の正当性を裏付けるためである。
広島、長崎に対する米国の原爆投下「実験」を祝福した「神」を僕は信じるわけにはいかない。
無垢の人々を無差別に殺戮するテロリズムを祝福する「神」、聖戦を善とする「神」を僕は信じない。
異教徒を迫害し、殺戮する「宗教」を僕は信じない。
オウム真理教の元教祖の死刑判決確定のニュースを観て、ふとそんなことを思った。
ミクシィが隆盛を誇る時代にあって、排他性によってしか自己を確立できない人間の激増を思う。ある属性によってしか自己を位置づけられないということの危うさを思う。もちろん人間はひとりでは生きられないというのは永遠の真実だと思う。
しかし、この状況はそれとはちょっと異なっているように僕には感じられるのだ。
やはり人間も動物の一種であり、群れて生きる定めなのだと改めて思う。
「はぐれ猿」として生きることを選択したものとしては複雑な思いがする。
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