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昨日の日記にも書いたけれど、このサイトのトップページをペンション・サンセットのページに変更した。これまではいわば「扉ページ」あるいは「表紙」にあたる蓼科高原日記をメインコンテンツとするページがトップページだった。
ぼく個人の美学としてはこれがベストだったのだけれど、閲覧者動向を追跡してみるとかならずしもベストとは言えないことがわかった。結論めいたことをいってしまえば、みなさんいそがしいのだ。昔みたいに1分いくらの高額な電話料金+インターネット回線接続料金を取られるわけでもないのに、まるで「駆け抜けてゆく」といった風情なのだ。
平均すると1ページ当たりの閲覧時間が数十秒というのではまともなコミュニケーションは成立しないと思うのだが、それが実態だ。どうりで「ホームページを見ているのですが」とおっしゃりながら電話でご予約いただいても、ホームページにはっきりと書いてあることを読んでいらっしゃらないお客様が多いのだ。
見てはいても、読んではいないし、理解もしていない。これは自己防衛的コミュニケーション拒否といえなくもない。しかし、情報過多時代にあって個人としても情報のフィルタリングが必要なのは理解できるが、必要な情報までフィルタリングして拒否してしまうというのはもう現代の「社会的病理」というほかない。
要するに「ぜんぜんひとのはなし聞いてないし〜」ということなのだ。(^^;)
このような時代に合ってはむしろ「情報過小」という逆の方法をとったほうがコミュニケーションが成立しやすいのかも知れないと考え始めている。たとえば世にはびこる「パワーポイント型プレゼンテーション」が良い例だ。メインタイトルは1ページにつきひとつ、1ページにつき3項目のサブタイトル、1ページにつき1項目3行以内の解説、文章を限りなく抑えて図表で「ビジュアルに」説明する・・・というやつだ。
そういう時代なのだ、そういう社会になったのだ、たぶん。
しかし、同じことを繰り返し伝えるという「冗長度(redundancy)」もある程度必要なのだ。1度だけ聞いてもうわかったから繰り返さなくてもいいというひとが多くなったが、実際のところ人間の能力はそこまで優れてはいない。人間の能力では「繰り返し確認」という手順が正確なコミュニケーションには不可欠なのだ。
パワーポイントスタイルのプレゼンテーションが見た直後にはすっかりわかったような気がしつつも、時間が経ってみるとよくわからないことが多々出てくるのは「冗長度」が低いからだ。よくいえば「簡潔」なのだが、繰り返しがほとんど無い分、コミュニケーションの深さは期待できない。
一般的に言語はおおむね50%の「冗長度」を持っていると言われている。言い換えるならば、たとえばこの文章の半分の文字をランダムに消去したとしてもだいたいの主旨はわかるという場合がこれにあたる。あるいは「キーワード」が文脈上に少なくとも2度出現すると考えてもいい。冗長度が50%を切って極端に低くなると、ひと言聞き逃しただけでもう話の筋がわからなくなる。人間のが正確な言語的コミュニケーションを達成するためには50%の冗長度が必須だと考えても良いのかも知れない。
ペンション・サンセットのホームページやご案内メールは「冗長度」が高い。意図的に高くしてある。それはより深いコミュニケーションをめざしているからだ。それがお客様にとって良いことだと信じているからだけれど、ほんとうのところ、ビジネスとしてペンションを考えた場合「どうなのだろう」と迷いが出てきている。この50%の冗長度に「最適化」することによって、くどくなくまた簡潔すぎないホームページになるのかも知れない。今後の作業になるけれど、こつこつやっていこうと思っています。
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