曇りのち雪 気温:最低 - 11℃/最高 - 6℃
夕方5時頃から小雪が舞い始めた。今日は雪の予報はなかったけれど、本降りになって積雪があるかも知れない。この降り方だと、雪が降っているのは山岳部だけと思われる。早春の静かな森に降る雪は悪くない情景だ。ひっそりとした景色に舞う雪は、たしかに悪くない。これを見るためだけでも、ここにいる価値がある。
この11年間のホームページ運営でなにを持ってしても伝えることの出来ないことがあるということを思い知った。それは百万の言葉でも数千万の写真でも伝えることの出来ないものだ。いまここにあって、はじめて感じることの出来るもの、そういうものやことがあるのだ。
しかし人々はそのようなモノやコトをわかりやすく伝えることを求める。ユビキタスだか情報革命だかなんだか知らないけど、そういうことを伝えることが可能なインフラと技術とが実現された時代になったのだと信じ込んでいる。それは誤った認識であり、いわば都市伝説にも似た経済伝説あるいは粉飾された技術革新宣言にすぎない。
ケータイが我々の本質的ななにかを変えただろうか、イエス、なにかとても大きなものを変えてしまった。インターネットが我々の本質的ななにかを変えただろうか、イエス、なにかを劇的に変化させてしまった。それによってわれわれは幸福になっただろうか。社会は啓発され安全で明るいものになっただろうか。ノー、じつはその正反対のことが起きているように感じるのは間違った認識なのだろうか。
そのような情報革命によって情報過多社会になったために我々の情報処理能力は疲弊して、目は曇り理解力は鈍り、気づかないうちに既得権者がその特権と利益をますます増大させることを保証する社会になってしまった。小泉政権〜安倍政権へとひきつがれたこの流れは変わることなく続いている。時代は逆行している、かつての資本家と労働者という昔懐かしい構図がいまの社会にもすっきりと当てはまるではないか。
これに対してアンチテーゼを示さなければならないのに、それがなされにくいのは、「情報化社会」あるいは「構造改革」という名の空虚なテーゼあるいはプロパガンダが浸透してしまったせいだ。これらのお題目はそれに異を唱えるものを異端者として排斥するためのシステムとして「考案」されたものだったのだ。いまさら気づいても遅いかも知れない。
格差社会を目指すものがこの国を動かすシステムの中枢を占め、異を唱える大多数の領民(国民なんかじゃない、もはや)の声はかき消される。ぼくは旧来よりノンポリティカルな人間だけれど、その僕でさえそんなふうに思わざるを得ない昨今だ。
北朝鮮やイラクやテロリストたちは、そのような画策から自国民の目をそらすための「悪役」を演じさせられているだけなのかも知れない。こちら側の世界から観れば、確かにかれらは間違ったことを行っているのだから、それを改めさせることは必須なのかも知れない。が、そのプロセスを自分の企図に利用している勢力の存在を僕は感じるのだ。
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