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この一週間ほどの期間、写真のことは一切考えずにまず文章だけで日記を書くという至極当たり前の作業にいそしんだ。端的に言うならば、ブログの作法を無視して日記の作法に従って過ごした一週間となったということだ。
写真を選択した瞬間に何を書くべきかという方向性と落とし込みが決まってしまう。それはある意味ではとても楽なことでもあるけれど、それを続けていると「考える」ということをしなくなってくる。そしてそのことに気づくのはなかなか困難なのだ。
僕の場合はだんだん「書けなくなって」そのことに気づいた。どちらがいいとか悪いとかということではない、もちろん。それはいわば「情報を伝える」か「想いを伝える」かという選択に過ぎない。僕としてはずうっと(基本的スタンスとして)「想いを伝える」ということを行ってきた。
ということなんですが、何か?
ということで、これはもう開き直るしかないのかもしれない。今後も蓼科のいまの美しさ、すばらしさを写真でも伝えていきたいと考えているけれど、文章としては写真にとらわれないで書けたらいいなと思っている。写真は写真、文章は文章なのだ。なにしろこれは「日記」なのだから、「日誌」にはしたくない。
IBM ThinkPad T43 が僕の元にやってきて三週間が経過した。いまではこちらで日記を書くことが日常となっている。何しろどこにでも移動して好きな場所で書くことができるのだから、これはすてきだ。それに24インチ液晶モニターと巨大な Power Mac G5 の轟音(?)を聞きながら書くよりも静かなノートPCで書く方が落ち着くということもある。
こうなるとパーソナル・コンピュータというよりはプライベート・コンピュータというべきなのかもしれない。少なくとも僕にとってはそうなのだ。トラックパッドやトラックポイントにも慣れてきたが、ノートPC用の小型のワイヤレス・レーザーマウス(ロジクールV450)を入手した。
写真を見ればわかるとおりA4ノートPCで使うのにちょうどよいサイズだ。レシーバーは直接左奥のUSB2ポートに差し込む。デスクトップのMacで使っている同じメーカー(ロジクール)のワイヤレス・レーザーマウス(MX1000 Laser)と並べるとその小ささがわかるが、これはこれで最低限の大きさをキープしているので小さくて使いにくいということはない。
これらの道具によって、どこに行ってもその場所が僕の書斎になるというわけだ。長年の夢がかなってとてもうれしい。
それにしてもこの二週間ほどしだいに左手の麻痺が進んできているのにはちょっと困っている。20年ほど前の交通事故の後遺症なのだけれど、普段は全く何ともないのにちょっとした加減で再発する。事故直後は左半身全体に麻痺が出ていたのが、最終的には治療によって左手の小指と薬指の感覚が全くなくなったこと以外はほぼもとにもどった。
その後リハビリによって握力も元どおりに回復し、左手も普通に使えるようになったが、過労状態になったときなどには左の頬(ほお)から左肩・二の腕の内側・左腕・左手がかなり強い麻痺に襲われて力が入らなくなる。通常58kgの握力が18kgまで落ち込んでしまう。
そうなると左手では爪切りさえできなくなってしまう。いまも左手の薬指と小指はほとんど感覚がないのでやたらミスタイプが多い。ローマ字入力のひとにはよくわかると思うけれど、タイプする上でこの二本の指はかなり重要な指なのだ。
まあ、これも含めて僕という人間なのだから仕方ないのだけれど。誰だって多少の不都合は持っているものだと思うから。記憶力の減退、思考力の低下、これは年齢相応だから黙って受け入れるしかないのかな。でも、そういうことをすべてひっくるめても年をとるのって悪くないと思っている。
生活できるだけの資産があるならば、ということだけれどね。「金のない年寄りは早く死んでくれ」というのが政府のとなえる「小さな政府」の本質だから。でも、本来の意味は「公務員の少ない政府」ということのはずだったのですが、何か?
※写真をクリックすると拡大されますので是非大きな画像でじっくり鑑賞してください。
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