晴れ 気温:最低 11℃/最高 20℃
クガイソウにはいつも蜂が寄りついている。
ああ、じつにたくさんの種類の蜂がこの森にもいるのだと改めて感心する。
昨日の写真と同じクガイソウだけれど、時間帯によってその印象は大きく変化する。
真夏の光と陰、クガイソウと蜂、吹き抜ける冷風に蝉の声。ピラタスの丘の夏。
蓼科の光と陰はこのように美しく、切ない。
そして神を想わずにはいられないほど象徴的でもある。
「万物はメタファーだ!」と叫んだのは、かのファウスト博士だったが、僕だってそんなふうに叫びだしそうになるほどだ。
蝉の声が聞こえる。しかしいまは真夜中、本来聞こえるはずのない時間だ。これは僕の耳に残された蝉の声の残像なのかも知れない。その声は決して賑わしいものではなく、僕のこころを慰撫してすっと通り過ぎていく一陣の涼風のようだ。
明日は立秋、暦の上では秋になる。蓼科ではその暦どおりに「秋風」が立つ。
ふと昔読んだ堀辰雄の作品を思い出す。ポール・ヴァレリーの作品の一節「風立ちぬ いざ生きめやも」を冒頭に掲げて始まる物語だ。蓼科高原の近隣にある富士見高原のサナトリウムを舞台としたこの小説の名は「風立ちぬ」。
僕といわゆる「高原」との出会いは、この決して明るい物語ではない小説を通じてだったような気がする。しかし負のイメージを抱くどころか透明な精神性をたたえた自然のたたずまいを感じて、いつか高原で暮らしたいという想いはそのときに始まっていたのかも知れない。
確かに高原の森では生と死とがごく当たり前のこととして共在している。そして僕らはそれをきわめて自然なかたちで受け入れることが出来るようになってくるのだ。それが出来なかった者はやがて山を下りることとなる。それもまた自然なことだと思う。
僕はどちらになるのだろうか。
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