晴れ 気温:最低 14℃/最高 25℃
ちょうど去年の今頃も同じような状況になっていたように思います。
つまり、疲労困憊だけど、たくさんのお客様をお迎えして
とってもハイな状況です。
ある種の覚醒状態かもしれませんが
それにも限界があって、突然ガス欠になってしまうのは
若さを失って久しいからかもしれませんね。
とにかく徹夜がこたえる。
恒常的睡眠不足がこたえる。
休息時間のまったくない間断ない作業の持続状態。
体中がむくみ、筋肉がはれ上がり、骨格が悲鳴を上げる。
そんな状態です。
思うに、日本のペンションはその歴史の最初からビジネスモデルとして誤っていた。
ベッドと朝食(B&B)を提供する宿という位置づけの欧米のペンションにたいして、夕食も提供するという旅館に準じた日本型ペンションは、その経営者・従事者に過大な肉体的負担を強いることとなったように思います。
いわゆるリゾート地に立地することがほとんどで、その結果ハイシーズンとそれ以外のシーズンとの集客数が極端に変動するのに対し、絶対的客室数が少ないためにはっきりいってペイしないのですね。
ペイしていたのは第一次ペンションブームや清里ブームに代表される第二次ブームそしてバブル期だけだったのではないでしょうか。
もちろん状況がどう変わろうと、優れた経営者はきちんとペイするペンション経営をしている。
しかし基本的には一定以上の資本力がなければそれもかなわないのが新自由主義経済化における経営の基本であることも事実なのですね。
それはなぜか?
お客様がサービスの向上以上に設備投資を求めるからなのです。
この10年に限っても、ジャグジー → 展望風呂 → 露天風呂 → 天然温泉露天風呂 → 天然温泉「展望」露天風呂 といった具合です。お客様の多くはペンションを選択するときにお料理のおいしさやホスピタリティなどよりもわかりやすい「設備」で選択する傾向がますます強くなっているようです。
経営者としてはそれが対投資効果が十分に得られない「不適切な投資」であるとわかっていても、無理して設備投資してきています。だからこそ資本力が物を言うわけでもあるわけです。不適切な投資が出来るだけまだ「余裕」があるという意味において。
別にぼやいているわけではありません。「危惧(きぐ)」しているのです。いまのこの状況はかつての民宿バブル期の設備投資バブルとその終焉にとても良くプロセスが似ているからです。
個人的には自由主義経済なのだから、弱肉強食でなるようになると覚悟を決めていますが、どうにも割り切れない思いではありますね。
もはやペンションなんて不要なのかも知れません。規模と設備という観点に限っていうならば、これほど中途半端なポジションの宿泊施設はないからです。その観点で選択するなら別にペンションでなくたっていいじゃないですか。
まあ、なにが生き残りなにが死に絶えるかは消費者=お客様がお決めになることですから、「人事を尽くして天命を待つ」ということしかないのですが・・・。
ホームページの完全リニューアルを行いながら身にしみて感じたことは、これからは「差別化」の時代ではない。「個別化」の時代なのだということです。自分の宿の個性をいかにして「わかりやすく」伝えきることが出来るかどうかにすべてはかかっているのだ、と。
小泉政権の人気の秘密はその「わかりやすさ」でした。それがよいことなのかどうかはわかりません。しかしそれはひとつの事実であり真実だったのです。
わかりにくいこと、伝えるのが難しいことをとにかく「わかりやすく」表現できなければおそらくこれからの市場では生き残れないのでしょう。じつに「こらえ性のない」、「手っ取り早さ追求」型の社会です。
それを否定するつもりもありませんし、否定したところでどうなるものでもありません。
淡々と受け入れ、それに対応するばかりです。
ペンションの新しいかたちを創造していかなければなりません。
そんなふうに思っています。
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