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最近電話で問い合わせをしたりするときに相手の企業なりお店なりの対応に「なにかが変わった」と感じるのは僕だけだろうか。ひとことで言ってしまえれば彼らは「身構えている」のだ。フレンドリーではなくむしろ「ディフェンシブ(防衛的)」なスタンスの応対なのだ。
これまでと少しも変わった問い合わせのしかたや態度を取っているわけではないにもかかわらず、そのような応対をされるのはいささか不本意であるわけだ。おそらくどんなに丁寧で礼儀正しく友好的な態度で連絡を取ったとしても、彼らの応対のスタンスは変わらないのではないかと思う。
それほど「クレーマー」事案が増加しているのだろうか。おそらくは、そうなのだろう。そのことはインターネットショッピングするときにも感じる。ホームページの注意事項がより詳細にまた、規定の記述がより法律に則った厳密なものになってきているのだ。
まあ、ペンションのホームページでさえ確かにそうしたクレーマー事案対応にならざるを得なくなってきているのは事実なのだが。企業等に対して社会通念上あるいは法律的に妥当性を持った「クレーム」を申し立てるひとと、そうではなく昨今「人格障害」と呼ばれているような根拠のない「難癖としてのクレーム」を申し立てるいわゆる「クレーマー」とが混同されているように感じる。
おちおち商品の不具合を知らせて相談することもできなくなってきた。ここにいたるまで消費者が過剰な反応をしすぎたのかもしれない。些事に渡って消費者があまりにも攻撃的な態度を取りすぎたのかも知れない。いまや、企業やお店が消費者に身構え、場合によっては反撃し始めている。まともな消費者にしてみればそれは不当な反撃であり、まともに話も聞かない企業や店の出現でもあるかもしれない。
日本的な心優しいホスピタリティーはいったいどこに行ってしまったのだろう。
しかしまっとうに商売してきた老舗がたった一度の不祥事のために、社会正義の錦の御旗の元に解体抹殺されてしまうご時世だ。それもまた極端に走りすぎている。そんなものは社会正義でも何でもない。消費者とそれをあおるマスコミの恐怖政治が始まっている。
それは犯罪者すべてを無差別に死刑に処するに等しい所行ではないか。まず社会的に更正させる道を模索するのが健全な社会というものではないのか。「世間様」が消失して久しいが、以来我が国はじつにバランスを欠いた米国流のぎすぎす社会になってしまったようだ。
米国が嫌われるのは自由と正義の名の下に世界を不幸にしているからだ。世界中を力づくで米国化することが彼らの言うところの「グローバリゼーション」であり「グローバルスタンダードの実現」なのだ。それは米国流の格差社会化による「不幸のシステム」の輸出でもある。
米国に依存しなければ生きていけない日本の構造的問題を改めることこそが本当の「構造改革」なのではないだろうか。格差社会化をすすめ、福祉を切り捨て、富の再分配をやめることが「構造改革」なのでは断じてないと思う。
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