雪 気温:最低 - 8℃/最高 - 5℃
初めは水気の多い雪だった。ひらひら落ちる雪ではない、結晶の小さな砂粒のようなパウダーなのだけれど、それはまるで雨滴がそのまま凍結したような感じで降り注いでいる。
1時間後、それは変化を見せる。固く締まった結晶を持った金平糖(こんぺいとう)のような粉雪に変わったのだ。踏むと、きゅっきゅっと鳴く雪だ。パフパフのパウダースノーだ。これはいい。
天気予報ではこれから1月1日まで、断続的に雪が降る。大雪になるかも知れない、という。おおむね、昼間は曇りか晴れで、日没前から朝にかけて雪が降るようだ。まあ、そういう降り方は蓼科の降雪のパターンなのだけれど。
ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデは一気に平年並みの冷え込みと、積雪となった。一時強風が吹いたときは、まるで1月末の厳冬期のような寒さを感じた。
夜になって本格的な降雪が始まった。激しい降りで、天気概況によればこれは大雪とのこと。おそらく明朝までにはサンセットの周辺でも60センチの積雪がありそうだ。
※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(今日の雪景)
☆☆☆
今年の秋、とある遊歩道で奇妙な写真を撮ってしまった。そのことは、あるエントリーに記したので記憶されている方もいるかも知れない。あれは個人的なフィクションだと書いたけれど、本当のことを言うなら、「個人的にはノンフィクション」だった。
僕の撮した写真の多くには、本来そこにはないはずのものが写っていたのだ。そこにはいないはずのものどもが写っていたのだ。最初はなにかのかげんでその様に見えるのだと、当然ながら、僕も思った。
でも、24インチの液晶ディスプレイでピクセル単位まで拡大してみても、それは木の葉や岩や木の切り株や落ち葉の組み合わせでその様に見えるのではなく、「そのもの」として独立した映像としてそこにあった。
これを世に言うところの「心霊写真」だというのは簡単だけれど、僕はそうは思わない、というか、そうは感じなかった。それらは単に「そこのある」だけなのだ。ちょうどその場所で僕が感じたとおりに、ただそこにあるだけなのだ。
彼らの視線は僕の方に向けられてすらいない。邪気もなければ、悪意もない。そして、それらを写真に写し込んだのは、彼らの意志でもなければ意図でもない。撮し込んだのは僕自身だと言うことを僕は自覚している。
肉眼では見えなかったけれど、僕ははっきりと感じていたし、ファインダー越しに目を凝らせば彼らを認識することだってできたのだった。それは恐ろしいものでもなければ邪悪な意図を持ったものでもなく、僕にはむしろ美しい風景の一部として、欠かすことのできない要素としてそこにあったのだ。
でもその美しい写真を僕は破棄してしまった。テレビ番組で語られる「心霊写真」的常識として、その様にしてしまったのだ。しかしいま、僕は後悔している。あの美しい写真を撮らせてくれたのは、彼らだったということにいま気づくからだ。
僕は、はからずも、無知によって彼らの善意を無にしてしまった。
彼らは、まちがいなく、「森の精霊」とでもいうべきものたちだったのだと、いまは確信している。
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