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村上春樹ばかり読んでいるような気がする。もとよりもっとも敬愛する作家だから、読書というとまず彼の作品を読み返すことになる。それにしてもこの冬は恒例の「ノルウェイの森」から始まって、「海辺のカフカ」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と次々に読み返しているのだから、ちょっとしたブームではある。
とくに「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はこの冬だけでも3回も読み返している。単行本で618ページもある長編だから結構読みでがあるにもかかわらず、この作品を読み解きたくてずんずん読み進んでしまった。この本には村上作品の一連のテーマとでも呼ぶべきものがぎっしりと詰まっているからだ。
しかしもう一度私が人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれがーーその失いつづける人生がーー私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。
物語の終末近く(第33章)で語られる独白にあるこの言葉にその「テーマ」は集約されているように、僕には思われるのだ。少なくとも同じような経緯を辿り、同様の想いにいたった僕にはそのように思われるのだ。だからもし僕が人生の意味を問われたならば一般論としては「回答不能」と答え、個人的には「自分自身になること、そして自分自身でありつづけること」と答えるだろう。
僕が昨日書いた「ひとは自分自身からは逃れられない」というのはそのような意味だ。
僕の人生がどんなに幸福であろうと、あるいは悲惨なものであろうと、そのような状況や運命とは関係なく僕は僕自身であることからは逃れられない。僕は僕自身として幸福になる道を模索するほか無いのだ。幸福とは、少なくとも個人的には、自分が自分であることを確信できること、そしてそのことをすべてのひとから認められることではないだろうか。そのような意味において、ひとは自分自身を目指すことを宿命づけられていると言える。
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