身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 流れに身をまかせるというのも大切なことかも知れないなと近ごろ良く思います。特にこうした閉塞状況の中では、妙にじたばたしないほうがマシなことも多いようです。たとえそれが結果的に「座して死を待つ」ことになったとしてもそれはそれで潔い(いさぎよい)のかも知れません。 その時代や環境にもっとも適応したものだけが生き残るというのは生命(いのち)の基本原則ですから、それはそれでいいのではないでしょうか。もちろんそれは違うと考えて闘い抜くという選択肢もあって、それもまたひとつの選択でしょう。それはとても尊い生き方だと思います。 でも、ぼくに限って言うならば人生はそれほどまでにして生きる価値があるのだろうかという想いのほうが強いのです。それはぼくの生い立ちにそのほとんどを負っている想いなので、他のひとはめったなことではそんなふうには考えないと思いますが。 ストーリーに富んだ、絵に書いたような小説的なあるいはTV的な「過酷な人生」だけが「過酷な人生」ではない。ストーリーなど無くただ間断なく降り注ぐ形而上の石つぶての雨のもとに生きる人生だってあるのです。 ぼくらはひとそれぞれにそれぞれの人生を認めなくてはならない。傍(はた)からどう見えようともひとはそれぞれの天国や地獄をこころの奥深く抱えて生きているのだから。 とはいえ 風立ちぬ、いざ生きめやも いまは本心からそのように思っているのですけれどね。 (注)ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』 (『魅惑』Charme 所収。1922年) 日本では堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭に引用された 「風立ちぬ、いざ生きめやも」 "Le vent se leve, il faut tenter de vivre." (風が起きた、生きてみなければならない) の一節で知られる。 --- ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆
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