今朝から雪が降っていますが、土日は晴れの予報が出ています。
予報より半日早く雪が降り始めました。 午前6時には降っていなかったのですが、午前7時過ぎから降り始め、いまでは本降りになっています。水気の少ないとてもいいパウダースノウです。 明日、明後日は好天に恵まれそうですので、気持ちの良いスキー、スノーボードが楽しめそうです。 さて、きょうも古い記事から懐かしい一編を再掲載します。 ★★★ 02月05日(日) 気温:最低 -15℃/最高 -7℃ Weather 晴れ 3377 冬の夕暮れ。 ピラタスの丘の雪景色風はなく、湿度が高いようだ。空気の肌触りが柔らかい。真っ赤な夕陽の光線がほぼ真横から射している。すぐ目の前にそびえる蓼科山に向かって左から右へとそれは差し込んでいる。ピラタスの森はしんと静まりかえっている。冬の夕暮れ時、僕はこの時間が大好きだ。 その中に身を置いているとさまざまなことが心によみがえってくる、ちょうど心のスクリーンに映し出されるような感覚で。ふと麻生久美子という女優のことを想う。彼女を観ているとなにかが心の奥深い部分を刺激する、その部分をだれかが腹立たしげに蹴飛ばしているようだ。 彼女が誰かに似ているということではない、たぶん。彼女を観ることによって誰かを思い出そうとしているのだ。彼女の持っている雰囲気があるひとを思い出させる。そうだ、僕が中学生の頃想いつづけたある娘のことを思い出す。 僕は卒業直前にとうとう彼女に告白し、それが受け入れられたのだった。天にも昇る気持ちだった。しかし、キューピッド役の同級生の女の子を通じて伝えたために、彼女にはこっぴどく非難されることになった。「うれしかったわ。でも直接私に言ってほしかった。」と。 そのときからその娘は僕の彼女になった。僕が彼女の「彼氏」になったのかどうかはよくわからなかったけれど。初めてのデートで僕は彼女をそっと抱きしめて「好きだ」と改めて告白した。彼女は「ありがとう、うれしいわ」と恥ずかしそうに小声で言った。 そうだ彼女は「好きだ」とは答えなかった。数十年の時を隔ててようやく僕は理解する。僕は彼女を愛していたが、彼女は僕を愛してはいなかった。好意は持っていたかも知れないが、愛してはいなかった。おそらくはそれ以前の感情でとどまっていた。愛されることは受け入れても、愛することを始めてはいなかった。 その後3年間僕らは奇妙な交際を続けた。たまにデートしたり、電話で話したり、手紙をやりとりした。「恋人」という感じではなかった。しかし自分たちがお互いに彼女と彼氏としてつきあっているという奇妙な確信だけは共有していた。 僕がスポーツで怪我をして入院したとき、彼女は見舞いに来てくれた。そのときの彼女の所作振る舞いは間違いなく恋人のそれだった。彼女の優しい想いがひしひしと感じられた。彼女は誠実な女の子だったのだ。つまり僕が告白し彼女がそれを受け入れたという事実に対して誠実だった。 そのような関係や想いが恋と呼べるかどうか僕にはいまでもわからない。ただ、彼女は僕と会うときいつも彼女の通う女子高のセーラー服を着ていたから、私服の彼女には一度も会ったことがない。それは彼女なりの儀礼なりけじめだったのかも知れない。それは僕ら二人を一定以上近づけない「ついたて」のようなものだったのかも知れない。 麻生久美子が「彼女」を思い出させたのは、麻生久美子がかつて雑誌が企画した「制服美少女」として一世を風靡したときにその姿を見た記憶があったからだった。ネットで探し出していま改めてそのときの写真を見ると、確かに「彼女」のセーラー服姿を思い出させるなにかがある。自分が美しい娘であるという事実を封印しようとするかのようなストイックな風情があるからかもしれない。 当時はあまり意識していなかったが「彼女」はかなりの美人だったことをいまになって思い知る。彼女と歩いているとき僕が緊張してうまく話ができなかったのはおそらくそのせいだ。そんなことにすら気づかなかった僕はひどく鈍感な男の子だったのだろう。だから秘められた彼女の想いを受け止められなかったのは僕の責任だった。 今更このようなことを言っても書いてもせんなきことだけれど、忘れないように書いておくことにする。すべては古代史に属する出来事だけれど、歴史的事実であることに変わりはない。僕はもっと率直に彼女を求めるべきだったし、彼女の想いに応えるべきだった。後悔はもはやなんの役にも立たない。良くも悪くも時効が成立してしまっている。 --- ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆
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