在りし日のパル(シベリアンハスキー・雄・享年14歳) 「存在」の反対概念は「無」ではない。 「存在」の反対概念は「非存在」である。 「無」とは「存在」すべきものの、あるいは、存在していたものの「不在」である。 簡単に言ってしまえば 「彼はいま不在です。つい今し方までここにいたのですが・・・」 というのが「彼の不在」 あるいは 「無」としての「彼の存在」である。 したがって 「無」は「非存在」ではないし 何もかもが灰燼に帰したときに 「無」と表現されるような状況 (それはカオスあるいはカタストロフィーのように感じられる) ではない。 僕の場合で言うなら パルは不在なのだ パルは消失したわけではない。 2008年12月23日(火) 午後1時50分 それまでこの世に存在したパルが旅立った。 だからパルはいまここにはいない。 それでもなおパルはここにいる。 それは僕らの個人的事実である。 だから、 個人的感慨としては 「無」とは「存在の残像」のようなものだ。 あるいは「存在」の「影」とでも表現すべきなのかも知れない。 そうした意味において 個人的な「無」とは 個人的な「想い出」 あるいは 「忘れ得ぬヴィジョン」 なのかもしれない。 無とは失われたものを思う心なのだ。 --- ●ペンション・サンセット公式HP ●蓼科高原日記 ●たてしなクロニクル ■蓼科高原公式HP ☆たてしなラヂオ☆
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