雨のち曇り 気温:最低 - 1℃/最高 5℃
春の雨
ことことという雨音で目が醒める。これは「春の音」だ。たしかに、と断言できる、今年の春はずいぶん早くやって来た、と。氷点下まで冷え込むのに春だなんておかしいと思うかも知れないけれど、この地ではこれが春の訪れの気候なのだ。
特記事項
今日石川県能登半島沖を震源とした地震があった。ピラタスの丘で地震を感じることはほとんど無い。たとえ諏訪で震度3でもここはゆらりともしない。前回揺れを感じたのは阪神淡路大震災の時だった。今回もそれに似た揺れを感じたので、どこかで大きな地震があったのだと直感した。
揺れたといっても震度1か2程度だったけれど。すぐにNHKをつけるともう速報が流れていて、どこで地震があったのかがわかった。最近は日本各地で地震の少ない地方で突然大地震がやってくるようで不気味だ。被災地の方々にはこころからお見舞い申し上げます。
ニュースです
ホームページにオーナー(つまり僕と妻)の簡単なプロフィールを掲載しました。どんな人がペンション・サンセットをやっているのか、少しでも知っていただいた方がお客様も安心してご利用になれると考えました。プライバシー丸出しでちょっと怖いけれど、このような仕事をしている以上それはある程度しょうがないのかな、と思っています。
といったところで今日はおしまいです。いつもあんまり長く書いてばかりだときっと嫌われちゃうだろうから。いま僕は「現代」というか「現在」の社会風潮が理解不能というか、うまく認識できなくなっています。いよいよ僕もアウトオブデートになってしまったのかも知れません。
曇りのち雪 気温:最低 - 11℃/最高 - 6℃
夕方5時頃から小雪が舞い始めた。今日は雪の予報はなかったけれど、本降りになって積雪があるかも知れない。この降り方だと、雪が降っているのは山岳部だけと思われる。早春の静かな森に降る雪は悪くない情景だ。ひっそりとした景色に舞う雪は、たしかに悪くない。これを見るためだけでも、ここにいる価値がある。
この11年間のホームページ運営でなにを持ってしても伝えることの出来ないことがあるということを思い知った。それは百万の言葉でも数千万の写真でも伝えることの出来ないものだ。いまここにあって、はじめて感じることの出来るもの、そういうものやことがあるのだ。
しかし人々はそのようなモノやコトをわかりやすく伝えることを求める。ユビキタスだか情報革命だかなんだか知らないけど、そういうことを伝えることが可能なインフラと技術とが実現された時代になったのだと信じ込んでいる。それは誤った認識であり、いわば都市伝説にも似た経済伝説あるいは粉飾された技術革新宣言にすぎない。
ケータイが我々の本質的ななにかを変えただろうか、イエス、なにかとても大きなものを変えてしまった。インターネットが我々の本質的ななにかを変えただろうか、イエス、なにかを劇的に変化させてしまった。それによってわれわれは幸福になっただろうか。社会は啓発され安全で明るいものになっただろうか。ノー、じつはその正反対のことが起きているように感じるのは間違った認識なのだろうか。
そのような情報革命によって情報過多社会になったために我々の情報処理能力は疲弊して、目は曇り理解力は鈍り、気づかないうちに既得権者がその特権と利益をますます増大させることを保証する社会になってしまった。小泉政権〜安倍政権へとひきつがれたこの流れは変わることなく続いている。時代は逆行している、かつての資本家と労働者という昔懐かしい構図がいまの社会にもすっきりと当てはまるではないか。
これに対してアンチテーゼを示さなければならないのに、それがなされにくいのは、「情報化社会」あるいは「構造改革」という名の空虚なテーゼあるいはプロパガンダが浸透してしまったせいだ。これらのお題目はそれに異を唱えるものを異端者として排斥するためのシステムとして「考案」されたものだったのだ。いまさら気づいても遅いかも知れない。
格差社会を目指すものがこの国を動かすシステムの中枢を占め、異を唱える大多数の領民(国民なんかじゃない、もはや)の声はかき消される。ぼくは旧来よりノンポリティカルな人間だけれど、その僕でさえそんなふうに思わざるを得ない昨今だ。
北朝鮮やイラクやテロリストたちは、そのような画策から自国民の目をそらすための「悪役」を演じさせられているだけなのかも知れない。こちら側の世界から観れば、確かにかれらは間違ったことを行っているのだから、それを改めさせることは必須なのかも知れない。が、そのプロセスを自分の企図に利用している勢力の存在を僕は感じるのだ。
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