雨のち曇り 気温:最低 9℃/最高 13℃
朝のうち雨が降っていたが、昼前から止んで曇り空になった。夕暮れ時、再びにわか雨が降ったがいまは止んで曇り空になっている。ピラタスの丘は今年は紅葉が遅く感じる。まだまだ夏の風情が濃厚なのだ。
ここ数日フリーメールアドレスたたきみたいなことになってしまったが、個人が個人的目的でちょっと危ない掲示板や当たり障り無いけどニックネームで参加するのが慣行となっている掲示板などでニックネームとともに使う分にはちょうど良いのかも知れないと思うし、それを否定するものではない。
しかし同じ「乗り」で商取引や責任ある発言をすべき場面でそれを使用することに異議を唱えただけであるということを、多くの善意のフリーメールアドレス利用者の方には誤解の無いよう、再度記しておく。
それはさておき、昨今「人を下に見る」という態度や言動や行為が増えてきている、特に、若い世代にその傾向が顕著な現象として現れてきているという。「人を下に見る」という意識は他者を自分より下に置くことによって自分をより上にいるように感じる「病んだ意識」だ。それはその根拠がないという点においても「あらゆる差別やいじめの根源的意識」である。
「人を下に見る」という態度や言動や行為はそもそも決して「品の良い」あるいは「人格の成熟した」印象を与えるものではない。それは「人間としてのあるいは一個人としてのプライド」とはまったく異なるものだ。後者は失ってはならない大切なものだが、前者は絶対的に否定解消されるべきものだ。それは相手に対して卑劣きわまりない態度だからだ。
相手が逆らえないあるいは反駁できない立場であることを見透かしてそのような態度に出るわけだからね。これは卑怯千万、卑劣きわまりない、ついでに唾棄すべき社会的行動だ。老若男女を問わず、自分のプライドの表出表現としてそのような態度をとることはまったく間違っている。プライドとはそのように野卑なものではない、もっと崇高なものだ。
本当の大人物は大人物だという態度をとらない。本当の人格者は人格者ぶらない。本当に偉いひとは偉いひとぶったりしない。それらは自然とにじみ出てある種のオーラとしてひとに伝わるものだ。「偉ぶる」必要はない、「威張る」ひつようはない、ひとを見下したような態度や言動をとるべきではない。それはあなたを貶めるだけだ、見た目は人々を自分に従わせたように見えるかも知れないけれど、人々は本当はあなたをさげすんでいるだろう。
それに気づかないとしたならそれはあなたにかしずいている人たちが良くも悪しくも狡猾で世渡り上手だからに過ぎない。あなたは「裸の王様」なのだ。
いずれにしても僕は、それが誰による誰に対するものであっても、社会的観点からも個人的信条からも、「人を下に見る」ことを許さない。
雨 気温:最低 10℃/最高 13℃
昨日ぐだぐだ書いてしまったけれど、要するに「個人情報保護と匿名の行使とは異なるものである」ということを言いたかった。個人情報保護を目的に匿名を行使するのは社会規範に照らしてに間違っている。個人情報を守るために匿名を行使しなければならない状況じたいを避けるのがもっとも賢明な行動だろう。
フリーメールアドレスの利用じたいは決して否定されるべきものではないが、少なくとも社会的に責任ある発言や商行為を行う場合には使用すべきではない。フリーメールアドレスはかつての一部のプリペイド携帯電話同様に「匿名性」をその本質として持っているからだ。相手にはあなたが実在する人物なのかどうかがわからない、「なりすまし」でないことを根拠無しに信用するしかない。
一方、あなたが契約しているプロバイダーの発行するメールアドレスには少なくともこの実在性の根拠が見いだせる。それは契約に際してプロバイダーに対して開示された非公開の個人情報を根拠として発行されたメールアドレスだからだ。そこが決定的に異なる。相手に対する個人情報開示とあなたの信用度とは正比例するのだ。これは社会の仕組みとして避けて通ることはできない。
「匿名」あるいは「匿名性」の乱用は避けなければならない。
どうしてそうなのかは9月6日および9月12日のこの日記で論じたので繰り返さない。
★★★
こんなことを折に触れては書くからかなあ、あるお客様に「オーナーが優しい方で良かったです。正直もっと怖い方かと勝手に思っていました。」なんて言われちゃうのかも知れない。(^_^;)
全然怖くないですよ〜。ヽ(^0^)ノ
ご安心下さい。(ホントです)
こういうことを言ったり書いたりするのはこの日記の中だけですから〜。
雨 気温:最低 11℃/最高 15℃
秋の長雨のようだ。天気概況は当分雨の日が続くと告げている。でも台風が来ていないだけましかも知れない。ピラタスの丘は朝から霧がかかったような幽玄な風景になっている。雨は、そう、そんなに本格的には降っていない。ほとんど降っているのかどうかわからない程度の状況が続き、たまにはっきりとした降りになる。
今日は終日気温が低めだったけれど、寒さは感じない。身体が季節に順応してきたのと、森がいまだに湿潤で枯れていないせいだと思う。じめじめしているわけではないが、例年より湿度は高めだと思う。そのために、僕らにはこの夏はいつもより「暑く」感じられたのだが、お客様にとってはとんでもなく涼しいと感じられたという感覚のギャップがあった。例年並みの湿度ならば、ピラタスの丘の夏はもっとずっと涼しいのだ。
森の様子もいつもの9月とはいささか異なるようだ。いまだに黄葉、あるいは紅葉する樹木が散見される程度にとどまっているのだ。いつもだったら白樺の葉はすでに紅葉してはらはらと落ち始めているはずなのだ。タラノキやナナカマドやヤマブドウはそれぞれに紅葉しているはずなのだ。
地球規模で温暖化が進み、日本は亜熱帯性気候から熱帯性気候へと変化しているのではないか。様々な報道の告げるとおり、それは特異な気候としてではなく、日常的な気候として定着しつつあるように感じる。このように自然のまっただ中に身を置いているからこそ、そのことがはっきりとわかるのだ。
★★★
さて、先日(9/6)この日記で:
《しかし蔓延する匿名性によって現代社会が犯罪の温床になってゆくのを苦々しく思っているのは僕だけでは無いと思う。匿名性とは自分が自分であることに責任を持たないということだ。自分が行うこと行ったことに対して責任をとらずに頬被り(ほおかむり)して隠れることだ。
それは「プライバシーの保護」という概念とはまったく異なる行為だ。そのことがわかっていないひとが多すぎると感じている。》
ということを書いたが、今日ウェブで以下のようなことを学んだ。
《壊れ窓の理論というものがある。(中略)元々、この壊れ窓の理論は、「匿名状態では、人はより自己規制が働かず、無責任な行動をとる傾向がある」という心理学者フィリップ・ジンバルドの理論をベースにしているそうだ。そう言われてみれば、公衆便所に落書きをする人も、匿名性の保たれない自分の会社のトイレではあまり落書きはしない。もっとも壊れ窓の理論では、匿名性に加えて「窓がたくさん割れている」という事実が、さらに自己規制をなくしてしまうということを提唱している。》
出典はこちらの記事だが、記事の方の議論は僕の議論とはベクトルが異なっている。僕の興味を引いたのはこの理論における《匿名》状態における人間の行動傾向だ。誰でも「なるほど」と思うだろう。もし現在のネット界が治外法権的に「荒れて」いるとするならば、それはやはりネット特有の匿名性に対する寛容さにあるのかも知れないと僕は考えている。
本来的に「契約行為」である宿泊予約において「フリーメールアドレス(ヤフーやホットメールなどの無料メルアド)」を使うことも、個人情報保護の目的はわかるが、こちら側からみれば「準・匿名行為」に当たるということに気づいてほしい。
まともなネットショップではフリーメールアドでは買い物できないご時世に、ペンションはなめられている(あるいは下にみられている)と感じている。が、それは違うのね。これはお客様の不見識というよりは、ペンション経営者兼ウェブマスターたち(僕も含まれる)の不見識であり怠慢だと、やっぱり、僕は考える。
ペンション・サンセットでは従来からフリーメルアドの使用を避けるよう推奨してきたが、昨今むしろ増加傾向にあることを鑑みて、今後はフリーメルアドのお客様のご予約は一切受け付けないことに方向性を定めて暫時対応を変えていくつもりだ。フリーメールアドレスは匿名性を本質としたものだからだ。
そもそもフリーメルアドがどうして無料であのようなサービスを成立させているのかその仕組みを考えたことがあれば、あんなものを使う気にはならないはずだ。メルアドを取得するにはあなたの個人情報を(場合によっては洗いざらい)登録しなければならなかったのではありませんか?
僕の経験では登録したとたんにスパムメールがそのフリーメルアド発でやってきて驚いたものだ。「やられた!これはいっぱい食わされた」と思ったものだ。極論するならば、なにがしかの個人情報提供と引換にあなたはフリーメルアドを利用することができるのだ。そして一度登録した個人情報はフリーメルアドを解約したあともどこかに流れるか消えないで残るのだ。
きちんと個人情報を保護したいのならば、契約しているプロバイダーのメールアドレスをもう一つ用意して、個人的用途と、ショッピングなどの用途に分けて使うことだ。そして後者に関してはスパムメールが送りつけられてもやむを得ないと割り切ることだ。それならば、「匿名行為」あるいは「準・匿名行為」を行わなくても済むというものだ。僕はそのようにしている。
このようなことを書くと「また小うるさいことを言っている」と感じるかも知れないが、そのようなメンタリティーじたいが個人情報を売り買いするような社会を作り出していることに気づいてほしい。スパムメール(迷惑メール)の発信者が匿名、源氏名あるいは「なりすまし」であること、そしてその発信メールアドもまた匿名、「でっちあげ」あるいは「なりすまし」であることをみれば、自分が「匿名性を本質としたフリーメルアド」を使うという同様のことをしているのに文句を言える人がどれほどいるだろうか。
「匿名状態では、人はより自己規制が働かず、無責任な行動をとる傾向がある」のだ。みながそのような状態になって、より安全な社会、よりよい社会が構築できるだろうか。悪意を持って(これはもってのほかだ)、安易に、あるいは無定見に、あるいはイノセントに(そのようなひとが一番多い)「匿名行為」あるいは「準・匿名行為」を行うひとが減少するよう願うばかりだ。
曇りのち雨 気温:最低 13℃/最高 19℃
1996年7月1日の開設当初から、このホームページは僕の署名入りのウェブサイトとして運営されてきた。何かを語る以上、たとえば新聞の署名記事のように、誰がそう言っているのかという責任の所在をはっきりさせる必要があると信じたからだ。
もちろんのそのために自身のプライバシー保護に問題が生じる可能性はある。大変危険なことでもある。が、それはウェブ上で情報発信する以上負わなければならないリスクだと僕は考えている。そもそもペンションガイドブックにはかなり詳しくオーナーの個人情報が公開されている。ペンションとはそもそもそのような業態なのだ。
そこがほかの宿泊施設と決定的に異なるところだ。ペンションは特定の個人がその個人的責任において経営している宿泊施設なのだ。組織では無く資本でも無く「個人」が全責任を負って運営されているのがペンションという「宿」なのだ。
だから、匿名あるいはハンドルネームでペンションのホームページを公開することは僕にはできない。個人が公開する趣味のホームページとは決定的に異なるものだからだ。お客様にはその違いなどどうでも良いのかも知れないけれど、僕はそうでは無いと考えている。匿名による暴力が頻発する世の中にあって、僕はぜんぜんトレンディーじゃないのだ。
しかし蔓延する匿名性によって現代社会が犯罪の温床になってゆくのを苦々しく思っているのは僕だけでは無いと思う。匿名性とは自分が自分であることに責任を持たないということだ。自分が行うこと行ったことに対して責任をとらずに頬被り(ほおかむり)して隠れることだ。
それは「プライバシーの保護」という概念とはまったく異なる行為だ。そのことがわかっていないひとが多すぎると感じている。だからペンション・サンセットではいっさいの匿名およびハンドルネーム(ニックネーム)を認めない。
旅館業法でも宿泊者は正しく自身の氏名、住所等の事実を宿帳(宿泊者名簿、宿泊カード)に記帳することが義務づけられており、偽名等を記す行為は厳しく禁じられている。
このような主張をすると「なにを固いこと言っているんだ」とか「ずいぶん厳しいのね」と言って敬遠するひともいるが、これが本来守られてきた社会的同意事項だし、それはいまもなんら変わっていない。我が国は先進国家であり、歴史ある法治国家なのだ。
匿名性と言うのは無責任と同義である。匿名性を利用すると言うことは、自分は安全なところに身を置いて、ひとをおとしめたり攻撃したり傷つけたりする行為を行うと言うことだ。たとえば匿名性の突出した例としてはテロリズムがある。テロリズムの恐怖はその匿名性に本質があるのではなかったか。テロが蔓延するのは匿名性を甘やかす現代社会そのものにあるような気がしている。
少年犯罪の増加も現行少年法の本質である「匿名による犯罪」と言う少年犯罪の取り扱いにその本質的原因があると考えるものだ。少年法はもはや「少年保護・更生」のための法律ではなく「少年犯罪の保護」のための法律におとしめられているように感じる。少年でさえあれば「匿名性」を担保され、罪を問われず、大人のような罰も受けず、ただ見せかけの「反省」と見せかけの「更生」だけで済んでしまうのだ。これを「犯罪特権」と呼ばずになんと呼んだらいいのだろう。
いずれにしても匿名によるやり取りには真実も責任も信義も無い。諜報機関やスパイ同士の交渉では無いのだ。匿名でなければ成立しないようなコミュニケーションや契約行為などそもそもの始めから行うべきでは無いし、存在そのものが犯罪の温床となる要素を内包している。
匿名社会こそ、プライバシーの保護と言う名のもとに、犯罪性という危険な誘惑に満ちた社会を形成しているのではないか。いま立ち止まって考える必要がある。
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