晴れ 気温:最低 - 6℃/最高 3℃
雪道荒れる 強烈な陽光
これが今日のキーワードだ。このようなメモから今日の日記を書き起こしていく。まず写真をアップロードして、写真にインスパイアされて書き綴る場合ももちろんある。どちらがどれくらいの比率になるのか定かではないけれど。
今日は前者のケースに当たる。さて、今日は昨日と同じ最低気温、最高気温になった。天気は晴天で、いよいよ陽射しが強烈になってきた。その熱量は半端ではなくて、氷点下の気温でも輻射熱の出やすい面の積雪はどんどん溶け始めた。
屋根からの落雪は昨日同様激しく、ほとんど落ちてしまった。道路は積雪の少ないところはほぼ乾燥路面になり、積雪の厚い部分はもこもこの悪路になった。それを見計らって除雪車が雪を道路から押し出してくれたので、その後はかなり状況が良くなった。
予報では金曜日夜あたりに雪が降りそうとのことだから、週末には道路は再び冬らしい積雪路になると思われる。くれぐれもまだ2月上旬なのだということを忘れずに、タイヤチェーンなどの準備おこたりなきよう。
沈黙は聞くことが出来る 責任は夢の中から始まる
それはさておき、我が敬愛する作家、村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返している。もう何度目になるのだろうか。深夜、作中に登場して読者の間で話題になった100万ドルトリオによるベートーベンの「大公トリオ」を聴きながら読む。この難解とも言える作品を読み解くことが自然に出来るようになった気分になる。
ここが里ならば、「なにもかもが寝静まった深夜」と書くところだけれど、ここは標高1800mにせまる亜高山帯なのだ。自然は決して眠らない、都会が眠らないというのとまったく異なった意味において。
野生動物はそのほとんどが夜行性なのだ。だから我が家の夜警担当のシベリアンハスキーのパル君も、時代劇で武士が刀を肩に立てかけて壁にもたれて仮眠するような感じで、夜間は半分起きているのだ。そして、我々が起床したのを確認してから爆睡する。
ここは静かなところだ。その印象と実感は13年暮らしたいまでも変わらない。日中でも耳の奥からきーんという音が聞こえてくる。深夜ならなおさらだ。「海辺のカフカ」でも山奥の小屋で主人公の少年が聞く「沈黙」はこのようなものだったのだろう。第15章の終わりに彼は語る。
「沈黙は耳に聞こえるものなんだ。ぼくはそのことを知る。」
それはここではあたりまえのこととして体験される、最初は新鮮な発見として、その後は感動的な日常として。そんな環境の中で日々を送り想いを巡らしているとイェーツの言葉もまた自然に心を打つようになる。体質が変わるのと同じように、こころも変わるのだ。
「夢の中から責任は始まる。(In dreams begin the responsibilities.)」
想像力のないところに責任は存在し得ない。想像力がなければ、その人間にはなぜそれが罪なのか永遠にわからない。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
そのような種類の殺人者は「夢」を見ることはないのだろう、たぶん。想像力のないところに夢はなく、責任も始まることはない。
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