暴風雪のち晴れ 気温:最低 - 7℃/最高 - 4℃
文字通りの「暴風雪」になりました。おそらく未明から始まったものと思われるのですが、強い風(というか暴風)が終日吹き荒れ、さらさらの粉雪を地吹雪のように吹き飛ばし、吹き寄せたのでした。これはもう「吹雪」の範疇ではありません。この冬初めての経験でした。
空は真っ青に晴れ渡っているのに、地表では氷点下の大気が猛烈な勢いで渦巻いているのです。空が晴れ渡っているのは、あたりまえですが、この強風が雲という雲を吹き飛ばしてしまったからで、夜になってもそれは変わらず、ぞっとするほど澄み渡った夜空に冬の星座がぎらぎらと輝きました。満月に近い月の光が、近景から遠景までくっきりと照らし出しています。
午後になって上空が晴れてもこの雪は蓼科山や八ケ岳の山頂付近を覆っている分厚い雪雲から風に乗ってこちらに運ばれて降り続きました。「天気雪」ですね、これは。それも強い陽射しの元での「吹雪」なのです。もう晴れなのか雪なのかわかりません。
用事があって山麓の街に降りましたが、街ではさしたる風はないのです。どちらかといえば温暖な穏やかな天気でした。で、すっかり山の天気のことを忘れて夕刻に戻ったのですが、ピラタスの丘にはいり、標高1650mを超えた辺りで突然の暴風に再度出会ったわけです。びっくりしました。まさに台風の風です。
暖冬で伸びて寝ていたシベリアンハスキーのパル君も今夜ばかりはアラスカにいた時みたいに丸くなってブリザード対応の姿勢で眠っています。気温はさほど下がらなかったのですが、この暴風で体感気温は氷点下20〜30℃だったのではないかと推察しています。ゲレンデも寒かったでしょうね、きっと。でもそのぶん、雪は最高だったはずです。
★★★
それはそうと、ブログシステムを使い始めてみて写真をふんだんにアップできるようになったことで、「映像の力」を再認識しています。すべてを文章だけで表現することもすてきなチャレンジだったのですが、自分の想いを込めた写真と(あるいは事実としての映像と)リンクした文章という表現形態の可能性の大きさにいささかとまどっています。
21世紀にはいってコミュニケーション形態そのものが、よりビジュアルになったことを実感します。文章でさえビジュアルな表現にそのメインストリームになってきているように感じています。昨今のヒット小説やコミックの原作は文字通りビジュアルな作品が多い。だから映画やTVドラマやDVDといったマルチメディア展開が容易なのだと思うし、それは良いことだと個人的には感じています。
これは写真をおろそかにはできないぞ、というのが「蓼科高原日記」の語り手としての認識であり、その点をもっとがんばらねばというある種の危機感となっています。で、そのための機材としてのデジタルカメラやレンズにいささかの投資をする必要があるのではないかと研究を始めたところです。
ホームページの場合、100枚写真を撮ってもアップできる写真はじっさいには数枚しかありませんでした。それ以外のほとんどの写真はそれ自体は満足のいく写真でも、微妙に違和感が出てしまったりするものです。
しかしブログの場合はそのあたりのハードルがかなり低くなります。写真としての芸術性よりも、見たままの事実としてのあるいは風景・情景としての写真であれば良いからです。まあ、個人的にはそんな基準を持っているわけで、ホームページ用の写真とブログ用の写真とは似て非なるスタンスで撮影すべきだと考えているしだいです。
極論すれば、ホームページ用のそれは商業写真(コマーシャルフォト)であり、ブログ用のそれはあえて言うならば「日常写真」というか「僕が見た蓼科」を写し取ったものであれば良いわけです。そのためにはコンパクトなデジカメの方が良いのか、より対応能力に優れたデジタル1眼レフが良いのか、いま評価しているところです。
ということで、文章も変わってきていますが、写真もきっと変わってくることと思います。個人的にはそのあたりを楽しめればいいなあと、ちょっと期待もしているのですが。
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