晴れ(夕方から強風) 気温:最低 8℃/最高 15℃
目を覚ますと時刻はすでに午後2時近かった。昨夜というよりは今朝はめずらしく午前2時前には床についたから12時間以上も眠っていたことになる。文字通り爆睡していたらしい。一片の記憶もひとかけらの夢も残っていない。
自分でも気づかないうちに相当疲労していたのかもしれない。思えば昨年秋以来ネット界の指向性の変化に対応するのに精一杯だったように感じる。簡単に言ってしまえばペンション・サンセットのホームページをご覧になるお客様の行動様式がこれまでとは激変したのだ。
同時に、宿選びの基準も大きく変化したように思う。その手がかりがネット上の宿情報がメインということになれば、唯一自分の思いのままに自分の宿を語ることのできる自前のホームページで思いの丈をアピールしなければならない。
ということで、終わることのない試行錯誤が始まったのが昨秋だった。それはやがて「迷走」といった方がいいような状況になってしまった。想いを込めれば込めるほど、表現を磨けば磨くほど、かえって伝えたいことが伝わらないジレンマに陥ってしまう。
こんな自分がコミュニケーションのプロとして仕事をしていたのかと恥ずかしい思いでいっぱいだ。こういうのを「紺屋の白袴(こうやのしらばかま)」というのかもしれない。自分のこととなるとめっぽうPR下手なのだ。
深夜いつもの吹き抜けの大テーブル(なんだか何かの符牒みたいになってきた)で、日記をしたためている。この時間になるとここはかなり寒い。室温はすでに15℃以下だ。そして全く無音といっていいほど静まりかえっている。
耳を澄ませば分厚い二重ガラスの窓の向こうから外を吹き荒れる風の音が聞こえてくる。この強風のおかげで空はすっきりと晴れ渡り満天の星空になっている。ぎらぎらと輝く星はなにやらぞっとさせるものがある。これが自然の真の姿かもしれない。美しいと同時におどろおどろしさを隠し持っている。
それにつけても、左手の麻痺は少しずつ悪化しているようで、小指と薬指はまるでバンドエイドを三重に巻いたようにもたもたと無感覚だ。自分の体の一部とはもはや感じられない。彼らが何をしているのか僕は感覚できない。だからミスタイプしまくりなのだ。
原因は推定できているのでまだ病院には行っていない。診療を受けたところで、できることはあまりないからだ。ずいぶん前の交通事故で頸椎と胸椎に受傷したことによる後遺症なのだ。危うく左半身麻痺になるところだったのだから、左手?左腕の麻痺(それもたまにそうなる)で済んで幸運というほかない。
ああ、また風の音がする。いつの季節もピラタスの森を吹き抜ける風の音は僕に哀しい思い出を、その映像を、そのにおいのようなものまでも思い出させる。つらいというわけでもないし、もはや涙も出ないのだけれど、とても切ない感情に満たされてしまうのは致し方ない。
ひとというのは孤独な存在だ。男も女も関係ない、年齢もまた関係ない。実存するというのはこのようにあるということなのだ。普段は様々な光や反映や幻想やらで彩られているから気づかずに済んでいるだけのことだ。生まれいずる時、そして死にゆくとき、愛情も友情もなすすべがない。
ひととひととの関わりや繋がりの中でしか生きられないのが人間だけれど、それぞれにそれぞれの孤独を心に宿して生きてゆくのも人間、そして最期の時もたったひとりで幕を引かなければならないのもまた人間の定め。
真剣に死ぬ覚悟なしに真剣に生きることはかなわないのかもしれない。
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