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この脱力感はいったい何なのだろう。「会社は株主のものだ」という経済社会になってから、世の中はどんどん奇妙な方向へと突っ走っているけれど、会社は株主だけのものではないのだ。「会社は、企業は、社会のものなのだ」と言うことを否定したら、社会は単なる金儲けゲームのための装置になってしまう。
勝者の、既得権者の、勝手な論理のみがまかり通り、狂気の沙汰も金次第になっていく。人間の尊厳や人権や公共の福祉など一気に吹っ飛んで、非情のものたち、ひとにあらざるものたちの「金の論理」が跋扈(ばっこ)する暗黒社会へと突き進んでしまう。
要するにトランプゲームの「地主と貧民」そのままの社会になってしまうのだ。それはすでに現実のものとなってきている。強いものは強いもの同士でますます結託し、その既得権益をより強固なものとし、貧しいものたちは本来闘うべき既得権者ではなく、貧しいもの同士で争い諍い(いさかい)つぶし合っている。
「格差社会」とはそのようなものだ。格差社会とは競争社会ではなく、既得権者とそれ以外の者との格差をより強固にするシステムなのだ。そこに競争があるからこそ進歩がありチャンスがあるというのはまやかしのプロパガンダ、根拠のない幻想に過ぎない。
生存競争に明け暮れている限り「幸福への進化」など起こりえない。まさに「衣食足りて礼節を知る」のだ。ああモラルとか礼節とか尊厳とかみ?んな「死語」になってしまった。何でもありだもんね。金と権力と既得権益がすべての社会だもんね。
それにしても官僚組織というのは自身の既得権益を守り増幅するためにだけ存在するんだね。それはあたかも資産家がその資産によって社会に益をなすことよりもその運用と利益の確保に専念するかのごときだ。
そういう意味ではいまのファンドは「死に金」だ。死に金が死に神のごとく嫌われながら優良会社を買いあさり株価をつり上げては売り払う。そこには何の社会的貢献も考慮されていない、そこには企業の社会的責任やヴィジョンもない。経営理念は「短期的に資産価値を上げること」のみだ。
一部の者たちだけが享受する史上最高の好景気が続いている。我々庶民はまさに「部外者」でしかない。まったく好況を実感できない、希望も展望もない暗い日々が続いている。そして大増税。増税するなら好景気にわきたつ企業に対する法人税から始めるのがセオリーではないのか。
まさに、無理が通れば道理が引っ込むというわけだ。強行採決しか能のない与党には何も期待できず、公務員の権益保護をかかげる野党にも何も期待できない。アナーキーな雰囲気に満ちた時代になりつつある。
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