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我々は「競争」しなければ生きていけない定めなのだろうか。人類がどんなに進化し、文明がどれほど開化されようと「経済競争」を生物としての「生存競争」をになぞらえて闘争しなければひとは生きてはいけないのだろうか。
ひとは競争しなければいけないのだろうか。競争を拒否するものは生きていてはいけないのだろうか。ほんとうに競争は進歩の母となるのだろうか。競争がよりよい世界を構築する根本原理だとは、私にはとうてい信じがたいのだけれど。
生まれてこの方経験してきた競争といえば陸上競技やモータースポーツやビジネスということになるのだけれど、どれも個人競技だった。不幸にして団体競技をあまり経験していない。これは向き不向きということもあるのだろう。
だから私の競争は「タイム・レース」に代表される「絶対的記録」による勝敗につきる。誰かを物理的に押しのけたり倒したりする競争にはなじみがない。個人競技でも格闘技は相手を倒すという物理的勝敗が経験できるのだけれど。
そうした意味において私の経験してきた競争はつねにいささか「抽象的」なものだったといえなくもない。あまり直接的に競争相手あるいは「敵」が見えない闘いだった。そのせいか、いまでも目の前の「敵」と闘うという形での競争は得意ではない。
また、深い相互依存による協調作業もあまり得意ではない。たとえば「地域社会」で遂行する伝統行事のようなものがそれに当たる。タスクフォースの一員としての期間限定的なタスクは完璧にこなす自信があるが、論理よりも濃密な人間関係を原動力とするような継続的タスクには向いていない。
それが私が会社を辞めてこの仕事を始めた理由の大きな部分であることは確かだ。人生の三分の二近くを私は「組織人」として生きてきた。自分の所属する組織に十全に適応して自分の役割を優等生的に果たしてきた。
あるとき、それが自分の生き方と取り返しのつかないほどの乖離(かいり)を生じたため、私は自己崩壊を起こしそうになった。そもそもひとはそれぞれの分や適性に応じた生き方をするように作られているのだ。その基本原理を無視した生き方をしてきた私は「警告」をうけたのだ。
それがペンション・サンセットの原点といっても過言ではない。自分が自分であることを始めるために私は蓼科に居を構えペンション・サンセットを開業したのだった。だからこのペンションは同業者との競争を勝ち抜くなどと言う経営戦略には馴染まない。唯我独尊(ゆいがどくそん)、独立独歩(どくりつどっぽ)の孤高のポジションをキープするしかない。
なんていうとなんだかおおげさだけれど、まあ、そういうことです。簡単にいっちゃえばお母さんが子供によう言う台詞(せりふ)=「ヨソはヨソ、ウチはウチ」ってことですね。
ペンション・サンセットは「ジャパンペンション」グループの一員として開業したこともあって、ホテル・スタイルのスタンダードなサービスと施設そしてお料理を提供する小規模宿泊施設です。当時のキャッチフレーズは「家族で営む小さなホテル」でした。
もっとも大切にしていることは「ホスピタリティー」です、お客様の笑顔です。もちろん「お料理」は絶対的自信があるのですが、それ以上に大切なのはお客様が少なくともここに滞在している間は本来の自分に戻ることができる、それも無防備に本当の自分になれる、ということです。
自分が自分でなくてなんの人生でしょう。自分が自分であることが許されないような場所はあなたの居場所ではありません。幸福とは自分が自分であることが無条件に許されることだと個人的には確信しています。ひとの存在理由は自分が自分であることを成就することにつきるのだと思います。
それが、わたしのそしてあなたが神から与えられた「いのち」のレゾンデートル(存在理由)なのだといまは思うのですね。あああいけない、ペンション・サンセットではこんな小難しい話はいっさい無しですからご心配なく。これはわたしの内面のひとりごとなのですから。
※今日の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。
この季節に咲くオダマキという美しい花です。
※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。
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