(承前)
以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。
とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。
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2003.01.14(火)----晴れのち雪 気温 = 最低 -8度/ 最高 -5度
『村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。』
と、私は昨日書いた。あえて自分の前職を具体的に記したのにはそれなりの意味がある。それは私がどれだけ「特異な世界」に身を置いていたかを表現する他の方法が見当たらなかったからだ。奇妙に歪んだその世界はそれなりに自己完結しており、どれだけ「それはおかしい!」とさけんでみたところで微動だにしないある種の価値観が完ぺきに支配し機能していた。
いうなれば、どこがおかしいのかわからないほどそれはおかしな世界だったのだ。あまりに特異すぎて誰もその特異性に気づかないほどだった。しかしあるとき私はその特異性に気づいてしまったのだ、決定的に。善いとか悪いとか、そういう問題ではなく、それは決定的に特異な世界だった。しかしそのことが「本当の私」に出会う旅への出発点となったのは実に皮肉なことだった。
『当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたが』というのはそういう背景があってのことだ。それまですっかり馴染んであたり前だった世界が、私の認識が180度変わったためになんとも歪んだ居心地の悪い邪気に満ちた世界へと一変してしまったのだから『変調』をきたしてもむべなるかなである。私は見てはいけない「ゲームの裏側」を見てしまったのだ。
まあこんなことは社会に出ればいずれ誰でも経験することといってしまえばそれまでだが、私の場合はいささか事情が込み入っていたためにいろんな自己矛盾がいっきに落とし前をつけにかかってきたのだった。それはまるで「思念の津波」のようであった。
なんて書き始めるとあたかも小説の冒頭のようではあるけれど、私には小説は書けないし書けたとしても書くつもりは無い、残念ながら。いま書けばやはり多様な自己弁護と筋違いの非難が顔を出してしまうに決まっているから。私がいまここにあることに私は満足しているし、掛け値なしに一切後悔していない。しかしそのことと過去を語ることとはまた別の話だ。
何で急にこんな話をしたくなったのかよくわからないが、おそらく私は自分の人生を「検証」してみたいのではないかと思う。次の人生へのステップとしてあるいはいつか必ずやってくる「死」へのブリッジとして。
(つづく)
☆たてしなラヂヲ☆
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