それでなくても出口の無いデフレ不況なのに、米国発の金融危機や北朝鮮の恫喝外交、政局にうつつを抜かす政府と国会、とこれでもかこれでもかと世情不安をあおり立てるような出来事ばかりが起こります。世情不安になるとのんびり旅行でもしようかなんて気分になかなかなれなくなってくるのかもしれない。 で、近場のテーマパークあたりで強制的に「思考停止」をはかりたくなるのも無理は無いと思います。明日に期待できない世の中ならばいまを楽しむ。あとさき考えても意味がない。僕も同じ気分です。そりゃあ僕なりの個人的な展望や抱負や希望はあるけれどそんなものはこの「現実」とやらのまえにあっという間にどこかに吹っ飛ばされてしまう。 いつもだったら「励まし」の1行で締めくくるところだけれど、いまは僕のほうが誰かに励ましてもらいたいくらいだから、白々しくて「励まし」なんて書けない。あしからず。 このブログの(最近の)のサブタイトルにもあるように、僕だっていつも歌っている("Now He Sings,")わけではないのだ。ときにはむせび泣く("Now He Sobs.")ことだってある。こんなことならばこころなんてものは捨ててしまいたいと思うことだってある。 『我(われ)今仮に化(かたち)をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮(こころ)あり。』『我(われ)もと神にあらず仏にあらず、只(ただ)これ非情なり。非情の物として人の善悪を糺(ただ)し、それにしたがういはれなし。』(上田秋成・「雨月物語」) (「いま私は仮に人間のかたちをしてここに現れて語ってはいるが、神でもなく仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違う心の動きを持っている。」「神でも仏でもなく、ただ感情を持たないものである。だから人間の善悪を判断する必要もないし、人間の善悪の基準に従って行動を律するいわれもない。」) こころが無いにもかかわらず、情(こころ)があるように振舞うことが現代社会において成功する人物の条件である。こころ無い非情の時代には、テネシー・ウイリアムズの言うところのこころの無い「うつろな人間」がふさわしい。僕は完ぺきにOUT OF DATEだ。 --- ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆
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