雨のち曇り 気温:最低 13℃/最高 19℃
ブログで面倒なのはカテゴリー選択、タグ選択、キーワード選択、そしてタイトルです。カテゴリー選択は適当、タグとキーワードは入力しないというのが僕の流儀です。あとで1年分まとめて作業するほうが一貫性があっていいかもしれないし。
タイトルはいつも苦労しますが、なんとかダブらないように気をつけています。そもそも、4000エントリーに迫ろうかという時点でダブらずににタイトルをつけるのは至難の業だと思いませんか。過去のタイトルなんて全部を正確には憶えていないし。
そういう意味では、11年前からのWeb版「蓼科高原日記」のほうが楽だったというか、心が軽かったですね。書く内容も、ブログ化以降に比べて言いたい放題していたし。いまはなんだか手足を縛られて水に投げ込まれて泳いでいるような苦しさを感じています。
ブログ化してだいぶたったのでいわゆる「ブログ界」の様子もわかってきたので、ここらで本来の「蓼科高原日記」に戻りたいと思います。そのためには「これはブログではありません宣言」をしなくてはいけませんね。これはブログなんかではなくて、「単なる個人的日記」で〜す、ってね。
CMS(コンテンツ・マネジメント・システム)として「ブログ公開システム」を利用してはいるけれど、理念的にも概念的にも実体もこれは個人的日記なのです。したがって書くことによってどんなにひとに嫌われようと、あるいは支持を受けようと反感を買おうと、それは僕がすべて引き受けるべきものです。
ひとの揚げ足を取ったり、弱みにつけ込んだり、寝首をかくことが手柄扱いされるような世の中だからこそ、自分の行ったことには自分できちんと責任を取れるようにしておきたいじゃない。匿名で「祭り」に惚(ほう)けているのもそれは個人の自由だけれど、それじゃああなたの人生も一生「匿名」のままですよ。
個人的にはそんな「匿名の人生」も悪くないとは思いますが、はっきりいってあまり幸せな人生とは言えない気がします。別に人生が幸せでなければならないなんて法律があるわけでもないのですけれどね。そうそう、まるで「人生は幸せでなければならない」みたいじゃん。へんだよね。
幸せでなければならないという呪縛によって反対に不幸になる人のほうが多いかも知れない。そもそも幸せって何だろうね。現在の僕にとっての幸せはとても具体的で、宝くじの高額当選者になることです、ははは。それで開業時に借入した公的制度融資を完済して、ペンションの設備投資をすることです。まあ、半分は冗談ですが、半分は本気です。
コホン、ええっと、僕にとっての幸せは・・・
「自分が自分であること。自分が自分であることが許されること。出来ることなら、自分が自分であることがすべてのひとに肯定的に受け入れてもらえること」
です。
といったところで今日はおしまいです。
写真も、観光情報も無しです。
恐縮です。
雨 気温:最低 11℃/最高 14℃
台風4号による被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。
ここ長野県中部地方はまだようやく台風4号の気配を感じる程度の小雨です。風はなく、ごく普通の雨です。午後8時現在暴風雨とは無縁の天候になっています。天気概況によれば暴風雨にはならずに夜半に一時雨脚(あまあし)が強くなり、未明には穏やかな降りに戻り、昼頃から曇り空に変わるとのことです。
明後日はそのまま曇りないし晴れとなりそうです。火曜日以降は週末を含めて良いお天気に恵まれるという予報が出ています。
それにしても、ここ数年の天候異変は本物のようです。日本は亜熱帯だと言われてきましたが、どんどん熱帯雨林気候に変わりつつあるように感じます。日本が熱帯となるのはそう遠くないことのような実感があります。
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さて、この蓼科高原日記も11年毎日書き続けてきたことになります。初期のものはデータ消失して残っていませんが、残っているモノだけでも今日で3801日分ということになります。そこでつくずく考え込んでしまうのは、いったいなんのために書き続けてきたのだろうかということなのです。
最初は蓼科のいまをインターネットという新しいメディアに載せてお伝えしたいという想いだけで書き始めたのですが、やがてそれは自分の想いを語る場へと変化していきました。それはまるで私小説のようでもありました。
やがてそのことに違和感を覚えるようになると、今度は報道的スタンスに変わりました。しかしそれも違和感があって・・・。やがて時代は新自由主義の経済社会へと変わり人の心のあり方も変わってしまいました。読んでくださる方の心もそして私自身の心のありようも。
結果第一主義の社会に個人的にどんなに異議を唱えようと時代潮流は変わりそうもありません。周りを見回せば、繁盛している宿はこんな手のかかる素朴なことに力を注いではいない。プロフェッショナルなあるいはそうでなくともより商業主義ツーリズムに沿ったPR展開をネット上でも行っていることに気づきます。
周到に計算された写真やレイアウトそして広告コピー。適切な資本投下による設備増強とそのアピール。ここでもやはりより大きな資本力が幾何級数的アドバンテージを享受している。想いより何よりまず資本力がなければ勝負にならないのです。
かたくなに人の心とホスピタリティーにこだわる宿もありますが、それをするにもやはりそれができるだけの資本がなければならない。趣味でやってますから利益は出なくてもいいんですと言えるだけの内部留保がなければそんな割り切りはできないのです。
早くそういえるようになりたいのだけれど、そうなるまでにはあと5年かかるのです。その間どうすべきなのだろうか。これまでどおり「ひとのこころ」と「ホスピタリティー」にこだわって経営している限りこの赤字体質を改善することはきわめて困難であることは明白なのね。
本当にダメな経営者なのです。身の程も考えずに理想ばかり追って・・・。
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